堀内 和一朗 ほりうち わいちろう

1980年東京都出身。医師として医療の最前線に立ちながら、ファウストボール日本代表として世界大会に出場。幼少期から知的探究心と運動能力を併せ持ち、武道の躰道で日本代表を経験。30代後半でファウストボールと出会い、遅咲きながら世界の舞台へ。現在は日本ファウストボール協会副会長として、競技の普及と強化という新たな挑戦にも取り組んでいる。


幼少期から変わらなかったもの

幼い頃から、彼は一つに収まるタイプではなかった。机に向かって知識を吸収する時間も、身体を動かして感覚を研ぎ澄ませる時間も必要で、どちらか一方では満足できなかった。

好奇心は尽きることがなく、興味を持ったものには徹底的に向き合う。その姿勢は、やがて医師という職業へとつながり、同時にアスリートとしての土台にもなっていく。この時点で、すでに二つの人生は始まっていた。


身体を極めるという経験

躰道で築いた身体と精神

本格的に打ち込んだのは躰道だった。一般的な武道とは一線を画す競技で、回転や跳躍を伴うダイナミックな動きの中で、空間を立体的に使う。求められるのは単なる筋力ではなく、重心移動、タイミング、空間認識。そのすべてが噛み合わなければ成立しない。

日々の鍛錬は単調ではなく、常に自分の限界と向き合う時間だった。どうすれば、より速く、より正確に動けるのか。どうすれば、相手の動きを先読みできるのか。その問いを繰り返しながら、自分の身体を作り上げていく。

やがて日本代表として世界の舞台に立つ。そこには、国内とはまったく異なるレベルの競争があった。わずかなズレが勝敗を分ける世界で、勝つためには自分を根本から見直す必要がある。その経験が、彼に一つの確信を与えた。自分は、まだ伸びる。そして、自分を高め続けること自体に価値がある。この感覚は、その後どんな環境に置かれても変わらなかった。


医師としての現実

一方で、彼は医師としての道も歩み続ける。医療の現場は、常に緊張と隣り合わせだ。一つの判断が、患者の未来を左右する。そこに求められるのは、冷静さと責任。感覚ではなく、根拠に基づいた決断である。

取材中、電話が鳴った。短く状況を把握し、的確に指示を出す。無駄な言葉は一切ない。やり取りを終えると、再び競技の話に戻る。まるでスイッチを切り替えるように。

だが実際には、その二つは切り離されていない。限られた時間の中で最適解を出す力は、医療でも競技でも同じだった。


ファウストボールとの出会い

転機は30代後半。出会ったのは、ファウストボールという競技だった。

ヨーロッパを中心に発展してきたスポーツで、特にドイツやオーストリアでは長い歴史を持つ。一見するとバレーボールに似ているが、実際にプレーするとまったく異なる競技であることが分かる。基本は5人対5人で、広い芝生のコートで行われ、屋外でのプレーが主流となる。

最大の特徴は、ボールが一度地面にバウンドすることが許されている点だ。サーブやレシーブの後、ボールは一度バウンドし、その落下点に合わせて選手が動く。そのためプレーには独特の間が生まれ、単純な反射神経だけではなく、次の展開を読む力が求められる。

攻撃は最大3回までの接触で相手コートへ返す。この流れ自体はバレーボールと似ているが、大きく異なるのは守備と攻撃のつながりだ。レシーブで弾いたボールがバウンドし、そこからトス、そしてスパイクへとつながる。その一連の流れの中で、どこにボールを落とすか、どの角度で打ち込むかといった戦術が重要になる。

さらに特徴的なのが、打球のスタイルだ。ファウストボールでは、主に腕や拳を使ってボールを打つ。強烈なスパイクはもちろん、あえて回転を抑えたボールや、相手の守備の隙間を狙うコントロールショットなど、技術の幅が広い。単純なパワー勝負ではなく、どこに落とすか、どのタイミングで仕掛けるかが問われる。一つ一つのプレーに意図があり、読み合いが存在する。

そしてもう一つ重要なのが、ポジショニングだ。広いコートの中で、5人がどのように連動するか。一歩のズレが失点につながるため、チーム全体の連携精度が問われる。個の能力と、組織としての完成度。その両方が高いレベルで求められる競技だ。

彼は、この競技に触れたとき、直感的に感じた。これは面白い、と。単なる球技ではない。身体能力、戦術理解、判断力、そしてチームワーク。これまで自分が積み重ねてきたすべてを試すことができる。そしてまだ、日本では確立されていない。

だからここに挑戦する価値がある。そう確信した瞬間だった。


未完成であることの価値

なぜこの競技だったのか。答えは明確だった。まだ完成されていないからだ。

バレーボールのように体系が整っているわけではなく、指導法も戦術も、確立されていない部分が多い。だからこそ、自分の経験をそのまま持ち込める。武道で培った身体操作と、医師としての分析力。それらを組み合わせ、新しい形を作る。

正解がない世界で、自分なりの答えを見つける。それ自体が、大きな挑戦だった。


遅咲きの挑戦

競技を始めたのは30代後半。多くのアスリートがキャリアの終盤に差し掛かる時期だ。だが彼は、そこからスタートした。不利であることは理解している。それでもやると決めた。

積み上げてきたものをすべて使い、短期間で一気にレベルを引き上げていく。やがて日本代表に選ばれ、世界大会へ。そこには、圧倒的な差があった。歴史も、競技人口も、育成環境も、すべてが違う。

それでも、引く理由にはならない。その差をどう埋めるか。その問いこそが、次の挑戦になる。


世界で感じた現実と可能性

海外の強豪と対峙したとき、単純な技術差だけではないものを感じる。競技としての成熟度も、文化としての根付き方も、日本とは異なっていた。

だが同時に、確信もあった。この競技は、まだ伸びる。日本でも、必ず広がる余地がある。だからこそ、自分がその一部になる。ただの選手ではなく、競技を作る側として関わる。


医師であり続ける理由

なぜ競技一本に絞らないのか。その問いに対して、答えはシンプルだ。どちらも必要だから。医師として社会に貢献すること。アスリートとして挑戦し続けること。どちらか一方ではなく、両方を持つことで見える景色がある。

忙しさは増し、負荷も大きい。それでも、この生き方を選ぶ。二つの現場を行き来する日々のすべてが、自分を形作っている。


競技を広めるという戦い

現在は日本ファウストボール協会の副会長として活動している。競技人口はまだ少なく、知名度も決して高くない。だからこそ、やるべきことは明確だ。知ってもらうこと、触れてもらうこと、続けてもらうこと。

そのために、自ら動く。選手としてプレーしながら、競技の魅力を伝える。ゼロに近い場所から文化を作ることは、一試合に勝つことよりもはるかに難しい。だが、やる価値がある。


挑戦の先にある未来

目指しているのは、個人の成功ではない。ファウストボールという競技が、日本の中で当たり前の存在になること。子どもたちが自然に触れ、世界を目指すことができる環境をつくること。その未来のために、今を積み重ねている。

誰も知らない競技に、光を当てる。その最前線に、医師として、そして日本代表として立つ。二つの人生を重ねながら、一つの挑戦を続けている。


東京都ファウストボール協会 Webサイト

日本ファウストボール協会 Webサイト