
石田 太志 いしだ たいし
1984年生まれ、神奈川県横浜市出身。小学生から高校までサッカーに打ち込み、大学入学時にフットバッグと出会う。独学と海外修行を経て世界大会優勝を果たし、日本人として初の快挙を達成。
2018年 世界大会 初代総合チャンピオン、シュレッド30部門優勝。2019年フットバッグ全米選手権初出場・初優勝。アジア人初の殿堂入り。2021年ギネス世界記録認定。世界大会は2014年、2018年、2024年の3度制覇。
現在は世界で唯一のプロフットバッグプレイヤーとして活動しながら、競技の普及、教育、イベント運営などを通じてフットバッグ文化の確立に挑戦している。
世界のトップが集う舞台を、日本に。
2026年8月、フットバッグの世界大会が茨城県つくば市で開催される。日本はもちろん、アジア初となるこの大会の中心にいるのが、日本人で初めて世界一に輝いたフットバッグプレイヤー、石田太志だ。
競技人口は決して多くない。知名度も高いとは言えない。それでも彼は、競技者として世界の頂点に立ち、今はその舞台そのものをつくろうとしている。
なぜ、そこまでやるのか。
その答えは、23年間積み重ねてきた挑戦の中にある。
誰も知らない競技に魅せられ、安定を手放し、世界へ渡り、孤独の中で技を磨き続けてきた。そして今、競技の未来を背負う決断をしている。
小さなボールから始まった挑戦は、世界を動かすところまで来ている。

偶然の出会いが、すべての始まりだった

それは偶然だった。
大学入学のタイミングで訪れたショップ。店頭に流れていた映像に、石田は足を止めた。小さなボールを足で操りながら、連続して技を繰り出すプレイヤーたち。その動きはサッカーとも違い、どこかダンスのようでもあった。
12年間打ち込んできたサッカーの延長線上にありながら、まったく別の競技。初めて手にしたフットバッグは思うように扱えず、わずか数回しか続かなかった。
それでも、できなかったことができるようになる過程に強く惹かれていく。
わずか3ヶ月後、全国大会に出場。結果は予選敗退。それでも競技の奥深さと、会場の熱気が、次の挑戦へと背中を押した。
世界を見て知った、自分の現在地
もっと上手くなりたい。その思いはすぐに行動へと変わる。
競技を始めて間もない中で、石田は世界大会へと向かった。カナダで開催された大会。そこには映像でしか見たことのなかったトッププレイヤーたちがいた。
実際に目の当たりにした世界は、想像をはるかに超えていた。
しかし同時に、自分の未熟さも突きつけられる。言葉の壁に阻まれ、十分にコミュニケーションが取れない。アドバイスを受けても理解しきれないまま帰国することになった。
悔しさと不完全燃焼の感覚だけが残った。
だからこそ、もう一度挑戦することを決めた。
海外での生活、極限の中で磨かれた感覚

再びカナダへ渡る。今度は語学と競技、両方に向き合うためだった。
現地では学校に通いながら練習を続け、並行して仕事を探した。150件以上の店舗に履歴書を持って回る日々。ようやく仕事を得ても、生活は決して楽ではなかった。
そこで始めたのがストリートパフォーマンスだった。
音楽を流し、通りの中で技を披露する。立ち止まった人にボールを渡し、実際に体験してもらう。1時間動き続けて得られる収入はわずかでも、その場で評価が返ってくる環境は確かな実感をもたらした。
生きるために続けるフットバッグと、成長するためのフットバッグ。
その両方を背負いながら、技術も精神も磨かれていった。
安定を捨てて選んだ、プロという道
帰国後、石田は一度社会人としての道を選ぶ。アパレル企業に就職し、仕事と競技を両立する生活を送った。
夜遅くに帰宅し、深夜から練習を始める。睡眠時間を削りながら続ける日々。それでも競技を手放すことはなかった。
やがて日本一を獲得。しかし現実は変わらない。フットバッグで生計を立てることは難しいままだった。
それでも、選択の時は訪れる。
挑戦するか、諦めるか。
2011年、石田は安定した職を離れ、フットバッグ一本で生きる道を選んだ。
何もないところから仕事をつくる
独立後の現実は、想像以上に厳しかった。
スポンサーを獲得すれば生活できる。そう考えていた。しかし現実は違った。数百社にメールや連絡を重ねても、返ってくるのは断りか無反応。ようやく話を聞いてもらえても、結果にはつながらない。
収入はほとんどない。生活は不安定どころか、先が見えない状態だった。貯金を切り崩しながら、なんとか日々をつないでいく。
それでも、立ち止まるという選択肢はなかった。
仕事がなければ、自分でつくるしかない。
イベントに自ら売り込み、パフォーマンスの機会を一つずつ増やしていく。報酬が出ない仕事も少なくなかった。それでもまずは見てもらうこと、知ってもらうことを優先した。
SNSでの発信も続けた。活動を知った人から、少しずつ声がかかるようになる。イベント出演の機会が生まれ、フットバッグを披露する場が広がっていった。
同時に、もう一つの課題にも向き合う。
競技を広めたいと言いながら、そもそも道具が手に入らない。市販のフットバッグはプレイヤー目線では使いづらいものも多かった。
それなら自分で作るしかない。
2012年、自らフットバッグの製造と販売を開始する。収益の柱としてだけでなく、競技の入り口を増やすための挑戦でもあった。
プレイヤーとして結果を出すだけでは足りない。競技が続いていく環境そのものをつくらなければならない。
石田の挑戦は、個人のキャリアを超えた領域へと広がっていった。
全国を巡り、競技を届ける
競技を広めるために、石田はさらに一歩踏み込む。

自ら全国を巡り、直接フットバッグを届ける挑戦に出た。
北海道から沖縄まで、1ヶ月かけて各地を回る。街中や公園、人が集まる場所でパフォーマンスを行い、立ち止まった人に声をかける。
フットバッグを手渡し、実際に蹴ってもらう。
最初はうまくいかない。すぐにボールは落ちる。それでも、もう一度、もう一回と続けるうちに、少しずつできるようになる。その瞬間に生まれる驚きや楽しさが、次の興味につながっていく。
通りすがりの一人ひとりとの出会い。その積み重ねが、競技の広がりにつながっていった。
効率だけを考えれば、もっと別の方法があるかもしれない。それでも、直接届けることに意味があった。
知らない競技だからこそ、体験してもらうことがすべての始まりになる。
この挑戦は、競技を文化として根付かせるための確かな一歩だった。
世界一、その瞬間に訪れたもの

2014年、世界大会。
石田が挑んだのは、シュレッド30。これは、30秒間でどれだけ高度な技をミスなくつなげられるかを競う種目だった。
本番に向けて何百回と繰り返してきた。しかし練習では一度も、完璧に成功したことはなかった。
それでも舞台に立つ。
一発勝負。その中で、これまで積み上げてきたすべてを出し切るしかなかった。
演技が始まる。
ミスはない。想定していた技をすべて出し切る。それどころか、予定以上の構成をやりきった。
これまでに出したことのないスコア。
だが、それでも届かないはずだった。相手は長年世界の頂点に立ち続けてきた絶対的な存在。
そのわずかな一瞬だった。
相手にミスが出る。
結果は逆転。点差はわずか。ひとつの技にも満たない差だった。
偶然ではない。しかし必然とも言い切れない。
その境界の中で、石田は頂点に立った。
長年追い続けてきた世界一。その景色は、静かで、確かな実感だけが残る瞬間だった。

世界一になっても変わらない現実
世界一という結果を手にしても、現実は大きく変わらなかった。
競技の知名度は依然として低く、評価の場も限られている。優勝した事実だけでは、何も広がらない。
待っていても、状況は変わらない。
だから自ら動く。
新聞社やテレビ局に直接連絡を取り、情報を届ける。自分の活動を伝えるために、地道な発信を続ける。
動画が拡散され、少しずつ注目が集まる。そこからメディア出演へとつながっていく。
一つの結果が、次の機会を生む。
評価されるのを待つのではなく、届けにいく。その姿勢は独立当初と変わらない。
世界一になった後も、挑戦の本質は何も変わっていなかった。
むしろ、ここからが新たなスタートだった。
世界大会を日本へ、競技の未来を背負う挑戦

石田は今、これまでとは次元の違う挑戦に踏み出している。
2026年8月、フットバッグ世界大会が茨城県つくば市で開催される。8月10日から15日までの6日間、世界各国からトッププレイヤーが集結する。
この大会は、フットバッグの世界大会として日本はもちろんアジアでも初の開催となる。
その背景には、石田自身の歩みがある。世界大会優勝、そして殿堂入り。その実績をきっかけに、海外のプレイヤーや関係者から日本開催を望む声が数多く寄せられた。
その想いに応える形で、石田は決断する。
自らが主催者となり、日本フットバッグ協会とともに大会を開催する。
選手として世界に挑んできた立場から、今度は競技そのものを世界に発信する側へ。これまでとは質の異なる、大きな責任を伴う挑戦だ。
大会には約30カ国、200人規模の選手が参加予定。競技だけでなく、カルチャーとしての広がりも含めた場をつくることが求められる。来場も3,000人が見込まれ、つくばの街はお祭りとなるだろう。
資金、スポンサー、運営、集客。すべてがゼロからのスタート。
それでも前に進む。
フットバッグを始めて23年。その時間の先に、この決断がある。
日本で世界大会を開催すること。それは競技の未来を切り拓く一歩であり、日本のフットバッグシーンにとって大きな節目となる。
挑戦の先にある未来
石田の挑戦は終わらない。
競技人口が少ないからこそ、自分が広げる。環境がないなら、自分でつくる。
誰も歩いていない道を進み続ける。
小さなボールから始まった挑戦は、いま世界をつなぐところまで広がっている。
その先にどんな景色があるのか。
答えはまだ、これからの挑戦の中にある。
石田 太志 公式サイト / フットバッグ専門店 FOOTBAG MANIA
WORLDS2026公式ハッシュタグ #FootbagWorlds2026
https://www.footbag.jp/FootbagWorlds2026

