後藤龍一(ごとう・りゅういち)

新潟県新潟市出身。新潟市立紫竹山小学校教諭。幼少期から体を動かすことが好きで、自然の中で遊びながら育つ。2歳からモダンバレエを始め、のちに体操競技へ。大学まで体操競技を続ける中でラート競技に出会い、2019年より本格的に競技を開始。2022年より日本代表として世界大会に継続して出場。跳躍種目では初出場で世界選手権優勝を果たし、その後も連覇を重ねる現役チャンピオン。2026年世界選手権(ドイツ)では3連覇と、世界初となる新技の成功を目指す。

体操少年の原点は、新潟の自然だった

後藤龍一が幼い頃を振り返るとき、まず浮かぶのは自然の風景だという。キャンプ、木登り、釣り。新潟の自然の中で過ごす時間が多く、気づけばいつも体を動かしていた。

じっとしているのが苦手で、面白そうと思えばすぐに飛び込む。挑戦することは、後藤にとって当たり前のことだった。

家族は、6歳上の姉との二人きょうだい。姉の影響で、後藤は2歳からモダンバレエを始めた。幼少期から10年ほど続けたというから、意外な原点だ。ただ、後藤の人生を決定づけたのはバレエではなく、体操競技だった。


母の背中が導いた、体操競技との出会い

体操競技との出会いには、母の存在が大きい。母自身が体操競技の経験者だった。

小学校入学前、母に連れられて体操クラブを訪れた後藤は、目の前で繰り広げられる鉄棒の演技に心を奪われた。ぐるぐる回り、宙に舞い、体ひとつで空間を支配する。かっこいい。自分もやりたい。そう思った。

内村航平選手のように6種目を戦う競技体操。後藤は小学生の頃から本格的にその世界に入り込み、床や跳馬など、走って跳び、空中で回転する種目を特に好んだ。やったことのない技に挑戦するのが好きで、怖さよりも、できた瞬間の高揚感のほうが勝っていた。

しかし、その挑戦心は一度、現実の壁にぶつかる。


中学3年の骨折。それでも戻った体操競技の舞台

中学3年の県大会、その2日前に、後藤は肘を骨折した。怪我は突然やってくる。コツコツと積み重ねた成果も、先に描いていた計画も、一瞬で崩れてしまう。リハビリを続けたものの、後藤は一度、体操競技から離れる決断をした。

だが高校に入学すると、心の奥に残り続ける感覚があった。もう一度、体操競技をやりたい。高校で競技に復帰し、リハビリ期間を経て、高2・高3ではインターハイと国体にも出場した。

ただ、結果は突出したものではなかった。勝ち上がったというより、出場することが精一杯だった。幼い頃に抱いたオリンピックの夢には、高校生の頃には現実を見て区切りをつけていた。

それでも、後藤は体操競技を続けた。そして大学へ進学し、競技と向き合いながら、新しい何かを求め始める。


大学で求めたのは、競争ではなく新しい体操のかたちだった

大学に入った後藤が選んだのは、リズム体操部だった。いわゆる新体操とは少し異なり、後藤が取り組んだのはGymnastics for Allという体操の分野。年齢も性別も関係なく、誰でもできる。曲に合わせて体を動かし、縄やフープなどの道具を使いながら表現する。

競争ではなく、体を動かす楽しさや美しさを追求する世界。体操競技とは違うその価値観が、後藤の中に新しい風を吹き込んだ。そしてそこで、人生を変える光景を目にすることになる。


体育館の隣で転がっていた白い輪

大学の体育館でリズム体操の練習をしていると、ふと隣のフロアが目に入った。白く大きな鉄の輪が、ゴロゴロと動いている。何だこれは。面白そうだ。それが、ラートとの出会いだった。

ラート競技は、直径2メートルを超える鉄の輪の中に入り、回転や跳躍を行う体操系スポーツだ。器具を転がしながら演技するため、筋力や柔軟性だけでなく、身体を精密に操る力が必要になる。バランス感覚や空間把握力、そして恐怖心を克服するメンタルも問われる。

種目は主に直転、斜転、跳躍の3つ。中でも跳躍は、ラートの上に立ち、宙返りやひねりを決める最もダイナミックな種目であり、後藤が世界の頂点に立ち続けている種目だ。

ちょうど体験会が行われていたこともあり、後藤は迷わず参加した。実際に触れてみると、体操競技と共通点が多いことにすぐ気づいた。鉄棒のような動きもあれば、跳び箱に近い要素もある。

だが同時に、体操競技にはない決定的な違いがあった。器具が動くのだ。床は動かない。跳馬も動かない。しかしラートは、自分の動きによって器具そのものが反応する。似ているのに、微妙に違う。その違いが、後藤を惹きつけた。


目線4メートル。跳躍が教えた恐怖と可能性

後藤がまず体験したのは直転だった。2本の輪を床につけ、ラートの中で回転する。斜転は難易度が高く、競技を始めてからしばらく経って挑戦したという。そして跳躍。ラートの上に乗り、跳び、宙を舞う。

後藤が使用するラートは直径230cm。身長168cmの後藤が上に立てば、目線は4メートル近くになる。最初は怖かった。高い。落ちれば大きな怪我につながりかねない。だが、その恐怖があるからこそ、跳躍には挑戦の魅力があった。

ただ、この時点ではまだ、後藤は世界を目指していたわけではなかった。本当の意味でスイッチが入ったのは、別の瞬間だった。


一本の動画が、世界を現実に変えた

大学1年の頃、ラート競技の日本代表選手たちが新潟を訪れた。その中にいたのが、ラート界の第一人者である髙橋靖彦選手だった。国内で12連覇を果たし、世界でも何度も頂点に立ってきた存在だ。

後藤は、髙橋選手の跳躍の動画を見た。後方伸身宙返り2回ひねり。ラートの上から、信じられない回転が放たれていた。

憧れと同時に、後藤は別の感覚を抱いた。この技なら、体操競技でもやってきた。自分にもできるかもしれない。髙橋選手は、この技で世界チャンピオンになっている。ならば、自分にも可能性があるのではないか。この瞬間、後藤のラートは、本気で世界を狙う挑戦へと変わった。


補助者がいないときは、一人でできる練習を積み重ねた

目標が決まれば、あとは積み上げるしかない。大学2年の時、新潟で学生の全国大会が開催されることになった。後藤はこの大会をデビュー戦と位置づけ、練習に本格的に打ち込んだ。

ラートの跳躍練習には、補助者が必要な場合が多い。同級生、先輩、後輩、先生。頼れる人には頼んだ。だが、いつでも補助者がいるわけではない。だから後藤は、一人でできる練習を徹底した。ラートの上に立ち、その上で向きを変える。地味な動作を、何度も繰り返す。派手な技の裏には、目立たない反復がある。後藤はそれを理解していた。

そして迎えた初めての大会で、後藤は学生の全国大会の跳躍の部を制する。この瞬間、確信した。挑戦できる。世界に届くかもしれない。


初出場の全日本で2位。敗因はラートの技術だった

学生大会で優勝した後藤は、勢いのまま全日本選手権へ向かった。技は髙橋選手と同じ後方伸身宙返り2回ひねり。体操経験がある後藤にとって、ひねりの回転そのものは武器だった。しかし結果は2位だった。

差がついた理由は明確だった。ラートならではの乗り方、蹴り方である。体操競技出身の後藤が体操の技術で勝負しようとしても、ラートを突き詰めてきた選手には及ばない部分があった。体操ではなく、ラートで勝つための技術。その必要性を突きつけられた瞬間だった。


コロナで閉ざされた挑戦。それでも歩みは止めなかった

大学3年、今年こそというタイミングで、世界はコロナ禍に入った。大会は中止になり、大学側からも出場を控えるよう制限がかかって、後藤は競技の場を失った。努力を積み上げても、発表する舞台がない。虚しさと苦しさを感じる日々が続いた。

だが後藤は、競技を手放さなかった。大会が開催されなかった一年を、技術を磨く時間に充てた。そして大学4年、ようやく代表選考会に臨む。結果はまた2位。しかしこの時、1位の髙橋選手が別種目で代表入りしたため、後藤が繰り上がりで日本代表に選出された。

そして翌年。大学を卒業し、教壇に立ったばかりの後藤は、教員一年目で世界の舞台に立つ。


小学6年の夢は教員だった。競技と仕事の両立という挑戦

後藤は小学6年の頃から、学校の先生になりたいと考えていた。文集にもそう書いていたという。背景には祖母の存在があり、自分を育ててくれた先生の言葉も大きかった。一緒に先生をやってみないか。そんなふうに背中を押してくれたのだ。

競技者として世界を目指しながら、教員として働く。簡単な道ではない。それでも後藤は、新潟という土地で競技を続ける意味をはっきりと持っていた。新潟大学という練習環境があり、指導者として檜皮(ひわ)貴子先生が身近にいる。職場の同僚たちの理解とサポートもある。

何より、教員だからこそできることがあると後藤は語った。世界で戦う姿を、子どもたちに直接見せられる。挑戦する背中を見せられる。苦しさはあるが、それ以上に得られるものがある。後藤にとって、両立そのものが挑戦だった。


世界選手権初挑戦。意識したのは他人ではなく、自分の技の要点だけ

2022年、初めての世界選手権。現地練習で、後藤は衝撃を受ける。同じ技を跳ぶドイツの選手がいたが、乗り方も跳ね上がり方も違った。レベルが高い。自分より上の選手がいる。そう感じた。

予選は2本。1本目は着地で大きく失敗し、転倒した。しかし2本目で立て直し、予選を3位で通過して決勝に進んだ。

決勝当日、後藤は他の選手の演技を見なかった。歓声が渦巻く、海外特有の熱狂の会場。それでも後藤は、壁に向かって自身の技の要点を頭の中で何度もなぞり、自分の演技だけを考えた。

演技が終わった後も、結果を確認しないまま表彰式へ向かう。2位の名前が呼ばれたとき、後藤は悟った。優勝だ。


表彰台で号泣した理由。母への感謝と、届いた世界一

表彰台に上がる瞬間、後藤は号泣した。体操競技を続けてきた時間、怪我を乗り越えてきたこと、そして母への感謝が、一度にあふれた。

後藤の父は、後藤が2歳の時に亡くなっている。母は一人で子どもを育て、後藤に多くの挑戦をさせてくれた。競技は変わったけれど、世界一という結果で、少しでも恩返しができた気がした。

国歌が流れ、日の丸が掲げられる。幼い頃、アテネ五輪で日本体操団体が金メダルを獲った映像に憧れていた少年が、別の競技で同じ景色を見ていた。競技はマイナーかもしれない。だが世界一は世界一だ。後藤はその瞬間、自分の積み重ねが間違っていなかったことを確信した。


チーム戦で知った、個人競技にはない達成感

2023年、後藤は団体で世界一を決める世界ラートチームカップに出場する。場所はアメリカ・シカゴ。初めての団体戦で、ルーキーとして、世界大会経験豊富な選手たちと同じチームを組んだ。結果は団体3位、銅メダルを獲得した。

個人競技では、他の演技を見なくてもいい。だが団体戦では、仲間を応援し、仲間の演技が自分の力にもなる。一人では味わえない緊張があり、一人では味わえない達成感がある。国を背負うという重さと喜びを、後藤はここで初めて実感した。

2025年のチームカップ(ドイツ)でも団体3位。メンバーは変わっても、後藤は跳躍で得点を取り、チームに貢献する役割を担い続けた。


連覇を目指した2024年。王者になっても挑戦者だった

2024年の世界選手権の舞台は、オランダ。後藤はディフェンディングチャンピオンとして臨んだが、気持ちは変わらなかった。勝つべき相手を探すのではなく、自分のベストを出せるかどうか。その軸は、2022年と同じだった。

違いがあるとすれば、細部へのこだわりだ。ひねりの美しさ、着地の余裕、無駄のない動き。同じ技を跳ぶライバルがいても、完成度で差をつける。後藤はその2年間を、ラートならではの技術の向上に使った。肘や膝の角度、立ち上がる動きの無駄を消すこと、着地前の体の開き。徹底した積み重ねが、連覇という結果につながった。


競技人口の壁。それでも新潟で続ける理由

ラート競技は、日本ではまだ競技人口が少ない。器具が特殊で使える施設が限られ、指導者も少ない。この2つが、競技が広がりにくい理由だと後藤は語る。

選手は秋田から沖縄まで全国に点在しているが、環境が整っている地域は限られ、茨城では筑波大学を中心に活動が盛んだという。そんな中、新潟には檜皮貴子先生がいる。檜皮先生自身も、世界選手権の跳躍で金メダルを獲得した経験を持つ指導者だ。後藤が新潟で競技を続けられるのは、この人の存在が大きい。

そして新潟から世界大会に出場し、金メダルを獲ったのは、後藤が初めてだった。


普及の柱は3つ。教員だからこそできる挑戦

後藤は競技の普及にも力を入れている。その柱は3つだ。

1つ目は、新潟大学で後輩への指導を行うこと。跳躍の技術や経験を伝え、競技力向上を支える。体操経験のある後輩がラートに興味を持ち、育ってきていることも嬉しいという。自分の背中が、次の挑戦者を生み始めている。

2つ目は、知ってもらう活動。地元メディアに取り上げてもらい、勤務校で演技を披露し、子どもたちに伝える。子どもたちが知れば、家庭にも伝わる。競技を知る人が増えれば、応援する人も増える。

3つ目は、体験会の開催。実際に触れてもらい、ラートを体験したことがある人を増やす。

しかし現状には悔しさもある。新潟には、子どもが競技として取り組めるクラブチームがない。興味を持った子にどこでできるのかと聞かれても、答えられない。器具、施設、指導者という課題が、目の前にある。それでも後藤は、いつか子ども向けのラート教室を開きたいと考えている。


母校の小学生へ。メダルを持ち帰った意味

後藤は最近、母校である新潟市立東青山小学校で講演と演技披露を行った。世界大会の演技を見せ、メダルを手に、好きなことを続ける素晴らしさを伝えた。

自分が歩んできた道が、誰かの人生の入口になる。それは競技の普及だけでなく、教育としての価値でもある。教員であり、世界王者である後藤だからこそできる活動だった。


2026年ドイツ。3連覇だけでは終わらない挑戦

2026年、世界選手権の舞台はドイツ。後藤は昨年12月の日本選手権で優勝し、正式に代表に選出された。大会は6月末から7月初旬。担任する4年生の子どもたちに動画を見せながら、挑戦への思いを共有している。

そして後藤には、3連覇以上に大きな目標がある。後方伸身宙返り2回半ひねりだ。

2回ひねりは世界でもトップレベルの技だが、世界には同じ技を持つ選手がいる。特にドイツの選手はレベルが高い。同じ技では勝てない可能性がある。だから、2回半ひねりに挑む。

ただ、挑戦は簡単ではない。この技は、世界大会でいきなり披露できるわけではなく、成功した動画を期限までに世界連盟へ提出し、技として認定されなければならない。後藤はそれをクリアし、技は認定された。その結果、跳躍の採点表は大きく変わった。後藤の挑戦により、世界のルールが動いたのだ。

しかし現時点では、まだ着地が決まっていない。足の裏で着けば技としては認められるが、尻もちをつくと大きく減点される。世界で誰も成功させていない技を、世界選手権という舞台で成功させ、優勝し、3連覇を果たす。後藤は今、その一点にすべてを注いでいる。


王者であっても、心は挑戦者

後藤は言う。ディフェンディングチャンピオンであっても、気持ちはチャレンジャーだと。3連覇は結果に過ぎず、やるべきことは自分のベストを出すこと。その姿勢は、初めて世界大会に出た2022年から変わらない。

挑戦することが好きだった少年は、世界の頂点に立った今も、なお挑戦者として輪の上に立ち続けている。新潟の地で教壇に立ち、週末はラートの練習を積み重ね、世界で誰も見たことのない技を追い続ける。誰よりも勝っているのに、誰よりも挑戦している。後藤龍一というアスリートの本質は、そこにある。

次の世界選手権でも、後藤はきっと、他人の演技や結果に振り回されない。意識を向けるのはいつも、自分の技だけだ。回転の先にある未来へ。後藤龍一の挑戦は、まだ終わらない。


日本ラート協会 公式サイト