川口 陽生 かわぐち ようせい
兵庫県西宮市出身。関西学院高等部卒業後、関西学院大学へ進学。幼少期から野球に打ち込み、高校時代は強豪・関西学院高等部野球部に所属。大学ではアメリカンフットボール部へ入部するも途中退部。その後は少年野球や中学生クラブチームで指導者として活動した。

大学時代には1年間アメリカへ語学留学。帰国後、縁あってチャレンジャーズへ加入しアメフト復帰を果たす。引退後はチームフロントへ転身し、ブランディングや地域連携を推進。現在はGMとして、尼崎を拠点に地域密着型クラブづくりに取り組む。

クラブの理念として掲げるのは、社会人としても一流、アスリートとしても一流を目指すデュアルキャリア。競技だけでなく、地域や社会に価値を生み出すクラブを目指し、挑戦を続けている。


勝てなかった高校球児が見つけた、本気で生きる意味

兵庫県西宮市で育った川口陽生は、幼い頃から野球に打ち込んできた。

関西学院高等部では強豪野球部に所属。甲子園を目指して汗を流した。しかし、最後はベンチ入りすら叶わなかった。

努力していなかったわけではない。

それでも、自分の中には消えない後悔が残っていた。

もっとできたのではないか。
もっと本気になれたのではないか。

そんな思いを抱えたまま進学した関西学院大学で、人生を変える出会いが待っていた。

アメリカンフットボールだった。

193cmという体格を見込まれ、名将・鳥内監督から直接声をかけられた。日本一を争う名門チーム。その環境は、それまでの自分の価値観を根底から覆した。

日本一のチームには、日本一になる理由があった。

取り組みの質。
練習への向き合い方。
日常の過ごし方。

全てが圧倒的だった。

世間から見れば、強豪校だから勝てるように見える。しかし、その裏には誰よりも高い基準で努力を積み重ねる文化が存在していた。

その環境に触れた時、川口は思った。

なぜ自分は、野球でここまでやれなかったのか。

だが、その気づきは同時に、彼の心を再び野球へ向かわせていく。

アメリカンフットボールを続けながらも、頭の中にはずっと野球があった。

そして大学2年の夏、川口はアメリカンフットボール部を退部する。


子どもたちとの出会いが、人生を変えた

退部後、川口は野球の指導者として歩み始める。

小学生や中学生を対象にしたクラブチームで、野球を教える日々が始まった。

そこで彼は、競技指導以上に大切なものと向き合うことになる。

なぜ野球をするのか。

なぜ親は高い月謝を払ってくれているのか。

なぜ挑戦するのか。

川口は子どもたちに、技術だけではなく、人としての在り方を伝え続けた。

グローブはいくらするのか。
スパイクはいくらなのか。
親が毎月2万円、3万円を払うためにどれだけ働いているのか。

そうした現実を真正面から伝えた。

感謝がなければ成長はない。
本気にならなければ人生は変わらない。

すると、不思議なことが起きた。

チームの練習の質が変わった。

勝てなかったチームが勝ち始めた。

子どもたちは、自分たちは弱い人間ではないと信じ始めた。

その姿を見た時、川口は強く感じた。

人の人生に関わることには、大きな価値がある。

現在のSEKISUIチャレンジャーズのチームビルディングの原点も、まさにこの経験にあるという。


英語も話せなかった青年が、アメリカで学んだ挑戦の価値

大学4年時、川口は1年間アメリカへ留学する。

英語は全くできなかった。

TOEICは250点。
自己紹介すら満足にできない。

スターバックスでコーヒーを注文することすら苦労した。

それでも、アメリカで出会った人々は、必死に彼の言葉を理解しようとしてくれた。

ある時、現地の人から言われた言葉が、今でも忘れられない。

英語を話せないことは恥ではない。
君は第二言語に挑戦している。
それ自体が素晴らしいことなんだ。

その価値観に、衝撃を受けた。

さらにアメリカでは、多くの若者たちが自分の夢を堂々と語っていた。

ロケットを作りたい。

世界を変えたい。

当時は大げさに聞こえた夢も、数年後、本当に実現していく姿を目の当たりにした。

夢を口にする。
目標を宣言する。
そして実現するまでやり切る。

その文化は、川口の人生観を大きく変えた。

だから今でも、自分の夢を言葉にする。

尼崎を日本一の街にする。

SEKISUIチャレンジャーズを日本一にする。

簡単ではない。
むしろ無謀だと笑われたことの方が多かった。

それでも、言葉にし続けたからこそ、現実は少しずつ変わっていった。


消滅寸前だったクラブを変える挑戦

チャレンジャーズに加入した当時、チームは決して強豪ではなかった。

勝てない。
ファンも少ない。
地域との接点もない。

川口自身、よくスポンサーが続いていると思ったという。

そして実際に、スポンサー撤退の危機も訪れた。

だからこそ、彼は現役時代からクラブ運営に関わり始める。

チームが社会に必要とされなければ、いつか消える。

そう感じていたからだ。

競技だけでは生き残れない。

地域から必要とされるクラブにならなければならない。

その想いから、地域イベントへの参加、行政との連携、街の課題解決など、地道な活動を積み重ねていった。

祭りがあれば行く。
餅つき大会があれば参加する。
ゴミ拾いもする。

派手ではない。

だが、その積み重ねこそがクラブの価値になると信じていた。

尼崎市とも包括連携協定を締結。
現在では、市長自らがチャレンジャーズを応援している。

さらに昨シーズン、チームはXリーグ総合3位の成績を残す。

絶対王者・富士通にも勝利した。

かつて夢物語と言われた日本一が、現実味を帯びるところまで来ている。


社会人アスリートだからこそ届けられるもの

川口が最も大切にしている言葉がある。

デュアルキャリア。

社会人としても一流。
アスリートとしても一流。

SEKISUIチャレンジャーズの選手たちは、平日は普通に働いている。

営業職。
銀行員。
不動産。
メーカー勤務。

残業もある。

接待もある。

それでも土日は、日本一を目指して本気で戦う。

その姿にこそ価値があると、川口は考えている。

競技だけをやる人生ではない。

仕事も、本気。
競技も、本気。

だからこそ、人として成長できる。

そして、その姿は子どもたちにも届いていく。

夢が叶わなかったら終わりではない。

大人になっても挑戦はできる。

本気でやりたい仕事をしながら、本気でやりたい競技を続けることもできる。

その背中を見せることが、社会にとって大きな意味を持つと信じている。


挑戦する文化を、尼崎から

川口陽生が目指しているのは、単なる競技の普及ではない。

アメリカンフットボールを人気スポーツにしたいわけでもない。

彼が本当に作りたいのは、挑戦する文化だ。

子どもたちが夢を語れる街。
大人が挑戦を諦めない街。
誰かの挑戦を笑わない街。

その文化を、尼崎から作っていきたい。

だからこそ、今日も地域へ出ていく。

競技だけでは終わらない。
勝利だけでは終わらない。

スポーツクラブが社会に何を残せるのか。

その問いに、SEKISUIチャレンジャーズは真正面から向き合い続けている。

そして、その中心には、川口陽生という挑戦者がいる。

SEKISUIチャレンジャーズ 公式サイト