田村 憲章(たむら としゆき)

1976年生まれ、神奈川県横浜市出身。幼少期よりスイミングクラブとサッカークラブに通い、ボーイスカウトでの野外活動を通じて自然の中で生きる力を身につける。高校時代にライフセービングと出会い、日本体育大学へ進学。ライフセービング部に所属し、伊豆諸島・新島で監視活動を経験する。

卒業後は同大学研究員を経て株式会社カワサキスポーツサービスに入社し、ジュニアライフセービングコースを設立。2016年に株式会社TKSを設立し独立。水難事故を防ぐための教育プログラムの開発と普及に取り組む。

公益財団法人日本ライフセービング協会常務理事、ライフセービングスポーツ本部長として競技の普及や大会運営、日本代表の強化を担う。競技者としても世界記録を更新するなど、現場とスポーツの両面から活動を続けている。


海での経験がすべての出発点になった

大学時代、初めて本格的に立った海岸で、田村はライフセービングの現実に直面する。

それまで事故のなかった海岸で、その日、溺水事故が発生した。現場は一気に緊張感に包まれ、ライフセーバーたちがそれぞれの役割のもとで動き出す。事故を防ぐために存在しているはずの現場で、それでも起きてしまう現実を目の当たりにした瞬間だった。

この経験は、ライフセービングの本質を強く意識させた。事故は完全には防ぎきれない。しかし、起きたときにどれだけ早く対応できるかで、その後の結果は大きく変わる。日々のトレーニングや技術の習得には明確な意味があるのだと、田村は理解するようになっていく。


鍛えることは記録のためではない

ライフセービングのトレーニングは厳しい。走り込みや泳ぎ込みを繰り返し、長時間体を動かし続ける。内容だけを見れば、他の競技と大きく変わらないように思える。

しかし、目的は大きく異なる。ライフセービングにおいて速さや強さは、競技で勝つためだけのものではない。現場で一秒でも早く要救助者にたどり着くための力であり、長時間集中力を保って監視を続けるための基盤でもある。

鍛えることは、そのまま誰かの命を守ることにつながっている。田村はそのことを、現場での経験を通じて理解していった。


競技としてのライフセービングが持つ意味

ライフセービングには競技としての側面もある。種目はプールと海の両方にあり、ビーチを走る種目、ボードで波を越える種目、泳ぎとパドリングを組み合わせた種目など、それぞれ異なる技術が求められる。

象徴的なのが、マネキンキャリーという種目だ。水中に沈んだマネキンを引き上げ、運びながら泳ぐこの種目は、実際の救助を想定している。田村はこの種目で世界記録を更新しているが、それは単なる競技成績にとどまらない。

競技で培われた能力は、そのまま現場での対応力になる。速く泳げること、正確に動けることは、救助の成功率を高める。ライフセービングは、競技と実践が密接に結びついている。


教育の現場で見えた課題

社会に出て水泳指導に携わるようになった田村は、水辺の安全をめぐる新たな課題に直面する。多くの子どもたちが泳げるようになっていく一方で、水難事故はなくならなかった。

原因の一つは、プールと自然環境の違いにある。プールで安全に泳げる子どもでも、海や川では状況が大きく異なる。波や流れ、足のつかない深さ。こうした環境の変化に対応するには、泳力だけでなく判断力や知識が必要になる。

この課題に向き合うため、田村はジュニアライフセービングコースを立ち上げた。目指したのは、泳げるようになることではなく、水辺で安全に行動する力を育てることだ。


現場と教育をつなぐ挑戦

2016年に独立した田村は、ライフセービングを軸に事業を本格的に展開していく。

活動は幅広い。海岸での監視業務の運営、ライフセーバーの育成・派遣、水辺の安全教育プログラムの開発と実施など、現場と教育の両面から水難事故の防止に取り組んでいる。

特に力を入れているのが、水辺の安全教育だ。

子どもたちには、危険を教えるだけでなく、楽しみながら学べる体験型プログラムを行っている。海や川を怖い場所として遠ざけるのではなく、正しく理解し、安全に親しむための知識と判断力を身につけてもらうのが目的だ。

自治体や地域と連携し、それぞれの地域に合った安全体制づくりにも携わっている。近年は海水浴場として開設されない海岸が増えているが、水辺を利用する人が減ったわけではない。監視の目が届かない場所で起きる事故をどう防ぐかは、全国的な課題になっている。

田村が重視するのは、事故が起きてからの対応よりも、事故そのものを未然に防ぐ仕組みづくりだ。

現場で得た経験を教育に生かし、教育で高まった安全意識を再び現場へ還元する。この循環をつくることが、水辺の事故を減らすために欠かせないと考えている。

ライフセーバーとして培った知識や経験が生きるのは、海岸だけではない。地域や学校、行政など社会全体と関わりながら、水辺の安全文化を根付かせていくことも、田村が挑み続けている大切な役割だ。


協会での活動が意味するもの

公益財団法人日本ライフセービング協会で田村は常務理事を務め、ライフセービングスポーツ本部を率いている。大会運営、競技普及、日本代表の強化と業務は幅広いが、根底にある目的は一貫している。

競技を広げれば、ライフセービングの認知が広がる。認知が広がれば、水辺の安全に関する知識や技術を持つ人も増えていく。

スポーツの活動に見えても、最終的には社会全体の安全につながっている。競技と社会は切り離されたものではなく、互いに影響し合っている。


水辺の事故ゼロという目標

協会が掲げるビジョンは、水辺の事故ゼロ。ミッションは、水辺における安全知識と技能を広め、誰もが安全に楽しめる社会を実現することだ。

シンプルな言葉だが、背景には現場で積み重ねられてきた経験がある。事故は予測できない形で起こり、時に大きな結果をもたらす。だからこそ、事前の教育や備えが重要になる。

このビジョンは、理想であると同時に、現実に向き合い続ける中で生まれた目標でもある。


挑戦は続いていく

田村は現在も競技者としてトレーニングを続けている。年齢を重ねてもなお水に入り続ける理由は、競技としての目標があるからだけではない。

自らが結果を出し続けることで、ライフセービングの価値を伝えられると考えているからだ。実績があれば言葉に説得力が生まれ、その発信が新たな人材や理解につながっていく。

一人ひとりの行動が積み重なり、社会全体の安全につながっていく。その流れをつくる挑戦は、これからも続いていく。


海と向き合い続けるということ

海は常に変化し、同じ状況が繰り返されることはない。だからこそ、関わる人間には継続的な学びと準備が求められる。

鍛えること、学ぶこと、伝えること。そのすべてが、水辺の事故を減らす手段になる。

水辺の事故ゼロは、簡単に達成できる目標ではない。それでも、実現に向けて一つひとつの取り組みを積み重ねていくことが欠かせない。

田村憲章の活動は、その積み重ねそのものと言えるだろう。

公益財団法人 日本ライフセービング協会