Photo by TSUTOMU TAKASU

三枝千夏(さえぐさ ちなつ)

1994年東京都生まれ。セパタクロー日本代表選手。早稲田大学スポーツ科学部出身。大学入学後にセパタクローと出会い競技を開始。大学2年生で日本代表サポートメンバーに選出され、その後代表活動を続ける。2018年、2023年アジア競技大会出場。現在はクラブチームA.S.WAKABAに所属し、試合の組み立てを担うトサーとしてプレー。IT企業で働きながら競技を続けるデュアルキャリアアスリート。

世界の壁を越えるため、タイで修行する日々

朝6時。
まだ太陽が昇りきらないタイのコートに、ボールを蹴る乾いた音が響く。

セパタクロー日本代表の三枝千夏は、現地の選手たちとともに練習を続けていた。

名古屋で開催されるアジア競技大会を見据え、彼女はいまタイに滞在している。

練習は朝6時から9時まで。
昼の強烈な暑さを避け、夕方になると再びコートに立つ。

日中は日本の仕事をオンラインでこなしながら過ごす。

競技と仕事の両立。
それがいまの三枝の日常だ。

セパタクローは東南アジアでは国技とも言われる人気スポーツだ。
特にタイでは学校教育にも取り入れられ、多くの選手が幼い頃から競技に触れている。

そのレベルは圧倒的に高い。

海外のトップ選手と対戦すると、三枝はこう感じるという。

海外の選手は、時間が止まっているかのようなボールタッチをする。

2018年、2023年のアジア競技大会。
日本女子チームはどちらも予選敗退に終わった。

世界の壁はまだ高い。

だからこそ三枝は、再びタイのコートに立っている。

しかし彼女のセパタクロー人生は、決して早く始まったものではなかった。


外で遊ぶことが好きだった少女時代

三枝は東京都で生まれ育った。

子どもの頃から体を動かすことが好きで、放課後や休日は外で遊ぶことが多い活発な少女だったという。

兄の影響で小学生の頃からサッカーを始め、地元のクラブチームでプレーした。

当時は女子サッカーの環境が今ほど整っていない時代だった。小学校では男女混合チームでプレーし、中学では女子チームに所属した。

小学生の頃にはサッカー選手になりたいと思ったこともあった。

しかし中学、高校と進むにつれて、競技者としてだけではなくスポーツそのものを学びたいという気持ちが芽生えていく。

高校ではバレーボール部に所属。

将来は体育教師としてスポーツに関わりたいと考え、早稲田大学スポーツ科学部へ進学した。

その大学生活で、彼女は思いもよらない競技と出会うことになる。


一枚のビラから始まった競技人生

大学入学直後の新歓シーズン。

キャンパスでは多くの部活やサークルが新入生にビラを配っていた。

その中で偶然手にしたのがセパタクローのビラだった。

先輩から言われた説明が印象に残っている。

サッカーとバレーボールを合わせたようなスポーツ。

小学生からサッカーをしており、高校ではバレーボール部だった三枝にとって、その言葉は自然と興味を引くものだった。

体験練習に参加してみる。

しかし実際にやってみると、想像以上に難しかった。

セパタクローのボールは小さく軽い。少し当たり方がずれるだけで思い通りにコントロールできない。

それでも、やってみると面白かった。

できないからこそ挑戦したくなる。

三枝はそのままクラブに入部する。

この偶然の出会いが、日本代表への道につながっていく。


競技開始から一年で日本代表へ

大学のクラブには約15人のメンバーがいた。

女子選手はまだ少なく、男子に囲まれて練習する環境だった。

それでも三枝は競技にのめり込んでいく。

大学生活の多くの時間をセパタクローに費やした。

そして大学2年生のとき、日本代表サポートメンバーとして招集される。

競技を始めてからわずか一年ほど。

突然の代表招集に驚きもあったが、日本代表として戦う責任も同時に感じたという。

初めての代表遠征はタイで行われた世界選手権だった。

日の丸のついたジャージを着て海外の大会に出場する経験は、彼女にとって大きな転機となった。


セパタクローというスポーツ

セパタクローは東南アジア発祥のスポーツだ。

バドミントンコートと同じサイズのコートで、ネットを挟んで3対3で戦う。

手は使わず、足、胸、頭などを使ってボールを扱う。

空中で回転しながら放たれるアタックは、この競技の象徴ともいえるプレーだ。

アクロバティックな動きが目を引く一方で、小さく軽いボールを正確にコントロールする繊細さも求められる。

世界では東南アジアを中心に人気が高く、アジア競技大会の正式種目でもある。

一方、日本ではまだ競技人口は数千人規模といわれている。

決してメジャースポーツとは言えない環境の中で、多くの選手が競技を続けている。


なぜ競技を続けるのか

セパタクローは日本ではまだマイナースポーツだ。

プロリーグもなく、競技だけで生活できる選手はいない。

それでも三枝は競技を続けている。

理由はシンプルだ。

できなかったことが、できるようになる過程が楽しいから。

そして何より、奥が深いから。

わずかな身体の角度や力加減、そしてメンタルの波。

そのすべてが、プレーの結果を大きく左右するほどの繊細なスポーツでもある。

さらにもう一つ理由がある。

世界の選手と対峙するたびに、自分の未熟さや現実を突きつけられてきた。

だからもっと強くなりたいと思う。

もっと強く、上手くなって、世界の選手たちと対等に戦えるようになったら。
その瞬間は、どれほど面白いだろうかと想像してしまう。

その思いが、彼女をコートへ向かわせる。


勝てない時間

三枝の競技人生は順風満帆だったわけではない。

むしろ、勝てない時間の方が長かったという。

大学時代も社会人になってからも、チームとして優勝経験は決して多くない。

直近の全日本選手権でも準優勝だった。

結果としては素晴らしい成績だが、本人の中には悔しさが残っている。

勝ちたい。

その思いが、彼女を次の練習へ向かわせる。


仲間が語る三枝千夏

Photo by TSUTOMU TAKASU

三枝について、チームメイトや関係者はこう話す。

知的で美しく、しかしとても謙虚な選手。

競技に対して真摯で、芯の強さを持っている。

その人柄に惹かれる選手も多いという。

後輩の中には三枝に憧れて競技を続けている選手もいる。

競技力だけではなく、人としても尊敬される存在。

それが三枝千夏という選手だ。


名古屋アジア大会という大きな挑戦

Photo by TSUTOMU TAKASU

三枝にとって今最大の目標は、名古屋で開催されるアジア競技大会だ。

セパタクローにとってアジア競技大会は、世界トップレベルの戦いが行われる大舞台でもある。

これまで二度出場してきたが、どちらの大会も予選敗退に終わった。

結果だけを見れば、何も残せていない。

それでも、あの舞台で感じた世界との差や悔しさは、確かに身体に刻まれている。

簡単に埋まるものではないとわかっているからこそ、向き合い続けてきた。

大学で偶然出会ったセパタクロー。

そこから十年以上。

思うようにいかないことも多かった。

それでも三枝はコートに立ち続けている。

名古屋のコートで、日本のセパタクローの可能性を示すために。


セパタクロークラブ A.S.WAKABA