
川上暁生(かわかみ・あきお)
スポールブール競技者。
45歳から競技ドッジボールに取り組み、シニア世代の強豪チームで活動。
怪我をきっかけに新たな競技を探す中でスポールブールと出会い、競技開始から約4年で全日本選手権上位入賞、日本代表候補にまで上り詰める。現在は世界選手権でのメダル獲得を目標に挑戦を続けている。
スポールブールという競技
スポールブールはフランス発祥の球技で、金属製のボールを目標物にどれだけ正確に近づけられるかを競うスポーツだ。川上はこの競技を、カーリングの陸上版と表現する。
転がす。走って投げて当てる。基本となる動作は大きく分けて二つだけ。世界で最も古い技の一つとも言われ、シンプルでありながら、突き詰めるほどに奥深さが増していく競技である。
45歳から再び始まった競技人生

川上が本格的にスポーツに戻ったのは45歳のときだった。きっかけは、当時小学校3年生だった息子がドッジボールを始めたこと。自然と自分もチームに関わるようになり、そこから10年間、競技ドッジボールに没頭していく。
所属したのは、全国でもトップクラスと呼ばれるシニアの強豪チームだった。日本一を何度も経験し、勝つ喜びと、勝ち続けることの厳しさを間近で味わった。
ただし、川上自身はそこで絶対的な主力だったわけではない。チームとして日本一になる力はあったが、自分のレベルがその中心にあったかと言えば、そうではなかったという。強いチームで活動できることは誇らしい。同時に、どこかで違和感もあった。
自分が活躍して勝ち取った日本一ではない。チームの一員として貢献はしているが、主役ではない。その事実を、川上は冷静に受け止めていた。
それ以前にも、社会人になってからゴルフに熱中した時期はあった。しかし30代は仕事に追われ、スポーツから距離ができていたという。再び体を動かし始めたドッジボールは、間違いなく人生に張りを与えてくれた。
一方で、年齢を重ねるにつれて怪我が増えていく。体は正直だった。強豪チームで活動する充実感と、自分自身の立ち位置への違和感。その両方を抱えながら、川上は次第に新しい競技、新しい挑戦を探すようになっていった。
ペタンクからスポールブールへ
競技を続けることに限界を感じ始めた頃、川上はボッチャのルールを調べる中でペタンクという競技に興味を持つ。そして、その延長線上で出会ったのがスポールブールだった。
よりダイナミックで、走る要素もある。これならまだ挑戦できる。そう直感し、競技ドッジボールからスポールブールへと舵を切った。
すぐ上手くなれるという誤解

スポールブールを始めた当初、川上はこう考えていた。動作はシンプルだし、少し練習すればすぐ上達するだろう。
しかし、その考えはすぐに覆される。思ったようにボールは転がらず、当たらない。最初は決して上手ではなかった。それでも、練習を重ねる中で少しずつ感触をつかんでいく。少し練習すれば、少し上手くなる。その実感があった。
その小さな成功体験こそが、競技を続ける原動力になった。
ほぼ毎日続く早朝の自主練習

競技を始めた当初は、地元チームの週1回の練習に参加していた。だが、それでは物足りなさを感じるようになる。埼玉のチームの練習にも顔を出し、週2回に増やした。それでも、すぐ一緒のレベルに行きたいという思いが強くなり、平日の自主練習を始めた。
現在は週5から6日、ほぼ毎日、朝7時から9時頃まで1〜2時間の練習を続けている。
金属球を投げる競技ゆえ、練習場所の確保には苦労した。警察官に注意されたこともある。それでも試行錯誤を重ね、ようやく安定して練習できる広い場所を見つけた。人が集まる前に練習を終えるため、自然と早朝練習が習慣になった。
単純だからこそ難しい練習
練習内容は、一見するととても単純だ。平らな場所を往復しながら、走って投げる練習と、転がす練習をひたすら繰り返す。だが、同じ動作を毎回同じように再現することが、何より難しい。
世界のトップレベルでは、目標への的中率は9割以上。一方で川上自身は、まだ5割から6割程度だと語る。上達しないと感じる日は、2時間でも足りない。それでも淡々と、同じ動作を繰り返す。
大会出場と急成長
スポールブールの特徴の一つが、初心者でも全日本選手権のような大きな大会に出場できる点だ。川上も競技開始直後から大会に参加し、実戦を重ねてきた。
その結果、各種目が年に1回開催される全日本選手権で、2位や3位に入賞するまでに成長。今では、国内トップ3に追いつき、追い越すことを明確な目標に据えている。
5つの種目と競技の現実
スポールブールには、対戦型(シングルス、ダブルス、トリプルス、フォースなど)、コンビネ、プレシジョン、プログレッシブ、ラビットと大きく分けて5種目ある。体力や走力など個人の特性に合わせて自分に合った種目に挑戦できる。
競技費用についても、意外と現実的だ。ボールは1個約1万円で4個必要。初期費用は4万円ほど。あとは月1,000円程度のクラブ会費と交通費が中心で、ランニングコストはそれほどかからない。
日本代表、そして世界へ

川上が口にする最終目標は、世界選手権でのメダル獲得だ。決して軽い言葉ではない。若い頃から競技一筋で生きてきた選手が語る夢とは、重みが違う。
45歳を過ぎ、仕事も家庭もある中で、新たに見つけた競技。普通であれば、健康維持や趣味の延長で終わってもおかしくない年齢だ。それでも川上は、日本代表、そして世界を本気で見据えている。
理由はシンプルだ。スポールブールという競技が、自分に合っていた。体力だけに頼らず、同じ動作を正確に繰り返し続ける集中力。年齢を重ねたからこそ身についた我慢強さと、淡々と積み上げる姿勢。若さではなく、積み重ねが結果に直結する競技だった。
世界のトップ選手は、9割以上の的中率を誇る。一方、川上自身はまだ5割から6割。差は明確だ。だが、その数字を前にしても悲観はない。むしろ、伸びしろがあることがはっきりしているからこそ、挑戦しがいがある。
課題を一つずつクリアし、現在は日本代表候補という立場にまでたどり着いた。決して近道ではなかった。平日の早朝、公園に人が集まる前の静かな時間。誰に見られるわけでもなく、同じ動作を繰り返す日々。その積み重ねが、ここまで川上を押し上げてきた。
川上は語る。私生活の中でも、これほど明確な目標を持てたのは久しぶりだと。仕事をこなし、家族と過ごし、年齢相応の生活を送りながらも、心のどこかに常に次の大会、次の一投がある。その存在が、日常を少しだけ刺激的なものに変えてくれる。
若い頃のように、がむしゃらに体を酷使することはできない。それでも、まだ成長できる。まだ目指せる場所がある。中年と呼ばれる年齢になってから見つけた、新しい夢。それに本気で向かっている自分がいる。
川上暁生の挑戦は、特別な才能を持った選ばれた人の物語ではない。人生の途中で、新しい目標に出会い、そこに向かって歩き出した一人の物語だ。
朝7時の公園から、世界の舞台へ。遅すぎる挑戦などないことを、川上はその背中で証明し続けている。
