小越 智就(おこし・ともなり)

1997年生まれ、岐阜県下呂市出身。弓道錬士六段。
小学生時代に空手を経験し、中学では剣道に打ち込む。厳しい環境の中で3年間をやり切ったのち、高校で弓道へ転向。高校2年時に団体でインターハイ初出場、高校3年時には団体で全国ベスト4に進出。
法政大学へスポーツ推薦で進学し、全国屈指の強豪校で競技に没頭。大学時代は団体戦を中心に数々の大会で結果を残した。
富士通へ入社後、一度は競技から距離を置くも2022年頃から本格的に再開。
2024年2月、第4回世界弓道大会(名古屋)に日本代表として出場し、団体優勝。
2025年9月、天皇盃 第76回全日本男子弓道選手権大会で初出場ながら優勝を果たし、歴代最年少の28歳で頂点に立った。
2025年、第74回日本スポーツ賞(読売新聞社主催)競技団体別【弓道】で最優秀賞を受賞。


28歳の最年少王者が現れた日

弓道界にとって、2025年は特別な年になった。

天皇盃 第76回全日本男子弓道選手権大会。
弓道競技の最高峰とも言える舞台で、小越智就は初出場ながら優勝を果たした。

しかも、28歳。
歴代最年少優勝という記録つきだった。

さらに小越は、2024年2月に名古屋で開催された第4回世界弓道大会でも、日本代表チームの一員として団体優勝を経験している。

国内最高峰の天皇盃。
世界の舞台での勝利。
その両方を手にした若き射手は、弓道界の常識を静かに塗り替えた。

だが本人は、どこか冷静だった。

勝った瞬間から、次の課題を考えている。
自分はまだどこまで伸びるのか。
そして弓道界に何を残せるのか。

小越の挑戦は、栄光の後にこそ本格的に始まっている。


落ち着きのない少年が選んだ武道の道

1997年生まれ、岐阜県下呂市。
自然に囲まれた土地で育った小越は、幼い頃から落ち着きのない子どもだったという。

本人の言葉を借りれば、やんちゃで手のかかるタイプ。
じっとしているより、動き回るほうが性に合っていた。

そんな小越が最初に触れたのは空手だった。
その後、中学では剣道へ。

サッカーやバスケットボールではなく、武道に近い世界に身を置き続けたのは、環境の影響が大きかった。

当時の部活の選択肢は限られており、兄が剣道をやっていた。
その流れで剣道を選んだ。

だが剣道は想像以上に厳しかった。

練習の空気、先輩の存在、日々のプレッシャー。
部活のことを考えるだけで憂鬱になるほどだった。

それでも小越は逃げなかった。

苦しいと思いながらも、3年間をやり切った。
そして最後に決断する。

もう剣道は続けない。
次の道へ進む。

ここが、小越にとって最初の挑戦だった。


兄の背中を追い、弓道へ

弓道を始めたきっかけも、兄だった。

兄が弓道で県大会入賞を経験していた。
その姿を見て小越は思った。

兄ができるなら、自分もできるのではないか。

本人も認める通り、最初は甘い考えだった。
しかし始めてみると、現実はまったく違った。

兄の姿を見ていたからこそ、できるイメージが先行する。
だが、思うように当たらない。

そのギャップが悔しくて、がむしゃらに打ち込んだ。

結果が出始めたのは高校1年の秋。
半年ほどでレギュラーに選ばれ、的中率も上がっていった。

弓道は努力が数字で返ってくる。
その分かりやすさが、彼を夢中にさせた。


初めて知った団体競技の重さ

高校で最初に出た県大会。
団体戦では的中率70%ほどと、個人としては上出来だった。

だが上位大会には届かない。

さらに個人戦では、まったく当たらなかった。
団体戦では当たるのに、個人戦では崩れる。

原因は心の中にあった。

全国に行きたい。
勝ちたい。
結果を残したい。

その思いが強すぎて、自分で自分にプレッシャーをかけてしまった。

弓道は、矢を放つ前に勝負が決まることがある。
心が乱れた瞬間に、狙いはずれていく。

小越は高校時代に、その怖さを初めて知った。


インターハイ出場、そして全国ベスト4

高校2年時、小越は団体でインターハイに初出場する。
結果は悔しいものだったが、全国の舞台に立った経験は大きかった。

そして高校3年時。
団体戦で全国ベスト4まで進出する。

この実績が、小越の進路を大きく変えた。

元々は就職を考えていた。
進学コースではなく、働くことを前提にした学科にいたからだ。

しかし全国ベスト4が、スポーツ推薦という道を開いた。

複数の大学から声がかかる中で、小越が選んだのは法政大学だった。

理由はシンプルだった。

日本一を目指したかった。
最も強い環境に身を置きたかった。

挑戦するなら、頂点を狙える場所へ。

その選択が、後の小越の人生を決定づける。


強豪・法政大学で待っていた現実

法政大学弓道部。
全国でもトップクラスの強豪であり、同時に厳しい体育会の文化が色濃い場所だった。

朝7時から道場で掃除。
授業が終われば練習。
時には夜10時まで弓を引き、帰宅は11時から12時。

声が小さいだけで怒られる。
上下関係、ルール、所作。

弓道の技術以前に、部活そのものが厳しい。

さらに小越を苦しめたのは、弓道のフォームだった。

法政大学の流派は、高校時代とは異なるものだった。
それまでのスタイルとは感覚が大きく変わり、同じように引いても矢が当たらない。

結果、当たらなくなった。

半年ほど、的中が出ない時期が続いた。
強豪校の中で結果が出ない苦しさは、想像以上だった。

それでも小越は折れなかった。

フォームを受け入れ、修正し続けた。

そして9月頃、ようやく感覚が戻り始める。
夏には部内でも上位に入り、インカレのメンバーに選ばれた。

大学1年での全国舞台。
普通ならあり得ないスピードだった。

だが本人にとっては、簡単な道のりではなかった。


黄金世代と呼ばれた同期たち

法政大学には、特別な世代があった。

男子同期6人のうち4人が、エース級。
的中率が異常に高い選手が揃った。

団体戦の5人枠のうち、4枠がほぼ固定されるほどだった。

練習では互いに競い合い、誰が出ても強い。
1年生の時点で団体メンバーのほとんどが1年生という、異例の状況も生まれた。

周囲はその世代を黄金世代と呼んだ。

だが強い仲間がいるということは、同時に逃げ場がないということでもある。

自分が外せば負ける。
自分が崩れれば終わる。

団体競技の重さが、さらに増していった。


5冠の夢と、1本の悔しさ

大学3年時。
法政大学は主要大会で次々と勝利を重ねていた。

全関東。
全国選抜。

そして迎えた、シーズンの真ん中に位置するインカレ。

この大会を含めた主要5大会をすべて制する――
それがチームの掲げた目標だった。

全関東、全国選抜と勝ち進み、
流れは確かに法政にあった。

インカレも制すれば、5冠への道が大きく開ける。

だが、準決勝で立ちはだかったのが立命館大学だった。

試合は拮抗する。
20射を終えて、両校19中19中。

勝負は競射へ。

外した方が負ける。
この一手で、5冠の夢が消える。

弓道は静かな競技に見える。
だがその内側では、心臓が破裂しそうなほどの緊張が渦巻く。

小越もその輪の中にいた。

チームを背負い、法政の一員として立つ。
勝ち続けてきたからこそ、負けるわけにはいかない。

だが、勝たなければならないという思いが、矢の先に重くのしかかる。

小越の放った矢は、的を外れた。

その1本で、法政は敗退。

5冠の夢は、ここで潰えた。

それでもシーズンは終わらない。

リーグ戦、そして王座決定戦。

法政はその後も勝ち続け、結果として4冠を達成する。

だが小越の胸に残ったのは、
栄光よりも、あの一本の感触だった。


大学生活は弓道だけだった

法政大学での4年間。
小越の記憶はほぼ弓道で埋まっている。

スポーツ推薦で入学し、バイトは禁止。
サークルにも入らず、ゼミ活動もほぼない。

道場、学校、家。
ただそれだけの生活。

周囲が楽しむ大学生活とは、まったく違う世界にいた。

だが、その濃度があったからこそ、競技者としての基礎が完成した。

弓道を通して、自分の限界を押し広げていく。
その時間が、小越の挑戦を形作った。


燃え尽きたはずの弓道

2020年、小越は富士通へ入社する。

IT営業として法人顧客を担当し、社会人としての生活が始まった。
最初は仕事で使う専門用語も文化も分からず、苦労したという。

だが体育会で培った姿勢が役に立った。
厳しい環境に慣れていたからこそ、耐えられた部分もある。

一方で、弓道への気持ちは冷めていた。

大学生の方が練習量が圧倒的に多い。
社会人は勝てない。

そんな空気が弓道界にはあり、自分自身もそう思っていた。

競技を続けても落ちていくなら意味がない。
燃え尽きた。
そう感じていた。


2022年、競技復帰は突然に

転機はコロナ禍の終盤だった。

2022年頃、小越はふと思った。

少し弓道をやってもいいかもしれない。

富士通には実業団があり、見学に行こうとした。
すると渡されたのは、まさかの入部届。

気づけば入部していた。

だがその流れが、小越を再び競技へ引き戻した。

全日本実業団大会に出場することになり、練習せざるを得なくなる。
どうせやるなら、しっかりやる。

その思考は学生時代から変わっていなかった。


世界大会団体優勝がもたらした転機

2024年2月、名古屋で開催された第4回世界弓道大会。
小越は日本代表として選出され、団体戦で優勝を果たした。

この勝利は、小越の社会人弓道を一気に押し上げた。

大学時代に注目されていた存在が、世界で結果を残した。
その事実が弓道界の外にも広がっていった。

会社でも表彰されるなど、反響は確かにあった。

ただ本人は、どこか複雑だった。

弓道はマイナースポーツ。
注目されることに慣れていない。

そして大学時代の高い基準が、今も自分の中にある。
社会人での実績を、素直に喜びきれない部分があった。

それでも確実に、小越の挑戦は次のステージへ進んでいた。


天皇盃は、弓道の最高峰

そして2025年9月。
弓道界の頂点、天皇盃 全日本男子弓道選手権大会。

この大会は特別だ。

単純に的に当てれば勝てるわけではない。
予選は採点制。

入場から退場までの所作。
歩き方、姿勢、弓の構え方。
射形の美しさ。

競技でありながら、弓道という文化そのものが試される。

ここで落ちれば、決勝にすら進めない。

しかも採点の世界では、ベテランが強い。
経験を積んだ選手ほど点数が出やすい。

30代後半から50代が中心の世界に、28歳の小越が挑む。

本人に自信はなかった。

4本すべて当てても、点数が低ければ落ちる。
自分がトップ10に入れるかは分からない。

だが小越は狙った。

4本すべて当てて、最高の射を出す。

結果、予選8位で通過。
滑り込みではあったが、確かに突破した。


10本勝負で見せた圧倒的な強さ

決勝に進むと、ルールは一転する。
今度は分かりやすい。

2本×5回、計10本。
その的中数で勝敗が決まる。

小越は10本すべて的中させた。

しかし、もう一人同じく10射10中を出した選手がいた。

勝負は競射へ。
サドンデス。

そして最後、小越が勝ち切った。

天皇盃。
弓道界の頂点。

初出場、初優勝。
歴代最年少28歳。

小越は内心、記録を意識していた。
最年少記録が29歳なら、28歳で勝つしかない。

その挑戦を現実に変えた。



弓道の魅力は、孤独と分かりやすさにある

弓道の面白さは何か。
小越はシンプルに語る。

結果が目に見えて分かる。
そして一人でもできる。

剣道のように相手が必要な競技とは違う。
自分と的があれば成立する。

自分の世界に入り込める競技。
だからこそ深い。

さらに弓道には二つの側面がある。

競技としての勝負。
そして文化としての美しさ。

的中率を追い求める人もいれば、射形や所作を極める人もいる。
楽しみ方は人それぞれだ。

この幅の広さが、弓道を唯一無二の競技にしている。


社会人でも続けられるという証明を

小越が弓道界に伝えたいことは明確だ。

競技人口を増やしたい。
そして社会人になっても弓道を続けてほしい。

弓道は高校や大学で競技者が多いが、卒業すると一気に減る。
仕事が始まり、環境が変わり、続けられなくなる。

さらに大学弓道と社会人弓道の間には、壁がある。

大学は的中率重視。
社会人は所作や射形も重視。

大学で当ててきた選手が、社会人になると批判されることもある。
当たるけど弓道ではない。
そう言われる世界だ。

小越はその両方を理解している。

大学で勝負をしてきた。
そして社会人でも、採点制の大会で評価される射形を身につけた。

続ければ、社会人でも勝てる。
続ければ、評価される射は作れる。

そのことを、自分の結果で示したい。

それが彼の挑戦だ。


週1回の練習が生む、世界への道

一度は燃え尽きた弓道だったが、社会人になってから再び弓を手に取った。
仕事をしながら競技を続ける生活は、学生時代とはまったく違う。練習時間も限られ、思うように弓を引ける日ばかりではない。

それでも小越は、少ない時間の中で工夫を重ねた。
週1回の練習でも、自分の射を磨くことはできる。積み重ねた努力は、やがて大きな舞台へつながっていった。

2024年2月、名古屋で行われた世界大会。
小越は日本代表として選ばれ、団体優勝を経験する。

さらに翌年9月には、弓道最高峰の全日本選手権で優勝。
天皇盃を手にした。

限られた練習環境でも、結果を出すことはできる。
仕事と競技を両立しながらでも、挑戦は続けられる。

小越の歩みはそれを証明している。


次の目標は連覇、そして最高得点賞

小越の目標はまだ終わらない。

天皇盃の連覇。
優勝回数を重ね、実績を積む。

そしてもう一つ、彼が見据えるのは最高得点賞だ。

採点制の大会で、最も点数が高い選手に贈られる賞。
ある意味、最も弓道らしい評価と言える。

的中だけでは届かない。
所作、射形、立ち居振る舞い、そのすべてを磨き続ける必要がある。

勝負の強さだけではなく、弓道としての完成度。

そこに挑むことが、今の小越にとって最大のテーマになっている。


勝利の先にある、本当の挑戦

28歳で天皇盃を取った男。
世界大会でも勝った男。

普通なら、ここで物語は完結する。

だが小越智就は、まだ途中にいる。

勝つことは通過点。
むしろ勝ってしまったからこそ、次の責任が生まれた。

若い世代が続けられる環境を作ること。
社会人弓道の価値を証明すること。
競技と文化の両方を体現すること。

天皇盃最年少優勝は、ゴールではない。

それは、小越智就という射手が
本当の弓道を追い始めたスタートラインだった。

公益財団法人 全日本弓道連盟

天皇盃 第76回全日本男子弓道選手権大会 公益財団法人全日本弓道連盟 Youtubeチャンネル