
川内 豊(かわうち ゆたか)
Repescagem Pivo!(ヘペスカージェン ピヴォ!)代表。
山形県出身。高校卒業後に上京し、フットサルと出会う。大会運営会社に勤務するかたわら、プレーヤーとしても活動。その後、フットサルマガジンPivo!編集部と関わり紙媒体廃刊後、名物大会Pivo!Champion’s Cupを引き継ぎ独立。ジュニア大会の運営を通じ、育成年代の底上げとフットサル文化の継承に挑んでいる。
サッカー少年から、フットサルに導かれた東京の日々
川内は、山形県で生まれ育った。地元ではサッカーに夢中になり、高校卒業後、東京へと進学。都内で暮らす中で、先輩に誘われてボールを蹴る機会が増えた。MFP千住に初めて足を運んだときの感動は、今でも鮮明に覚えているという。
人工芝のきれいなピッチ、整備された照明、そして熱気あふれるプレー。山形では見たことのないような、洗練されたフットサル環境に衝撃を受けた。
社会人になってからは、フットサルの大会企画や運営に携わる会社に転職。業務の一環で大会にも出場したが、競技レベルの高さに圧倒された。プレーヤーとしての限界を感じた川内は、別の形でフットサルに関わる道を模索し始めた。
フットサルマガジンPivo!とPivo!チャンという原点
2000年代前半。関東リーグが日本のフットサルにおける最高峰の時代だった。川内は毎月発売されるフットサルマガジンPivo!を繰り返し読み、選手たちのプレーに憧れを募らせた。
その中でも特に思い入れが深かったのが、Pivo!Champion’s Cup、通称Pivo!チャンである。全国の即席チームやアマチュアが集まり、トップレベルのチームと真剣勝負ができるこの大会は、まさにフットサルの夢舞台だった。
ある日、会場で当時のPivo!編集長・山下浩正氏と出会い、少しずつ関係を築いていく。運営や裏方の仕事も任されるようになり、フットサルの世界がより身近なものになっていった。
震災、休刊、そして大会継承への決意
2011年、東日本大震災が発生。これを機に、フットサルマガジンPivo!は休刊となった。
川内は衝撃を受けた。雑誌が休刊するだけでなく、あのPivo!チャンも無くなるかもしれないという不安が胸をよぎった。自分に何ができるのかを考え抜いた末、Pivo!主催の大会運営部門を継承するという大きな決断を下す。
独立後、Repescagem Pivo!として新たに歩み出す。大会やイベントの主催はもちろん、審判の派遣、施設運営、育成協力、ブランド営業までを担う総合フットサル事業を展開し、Pivo!の火を絶やさなかった。
育成世代へと引き継ぐ情熱

川内の挑戦は、それだけでは終わらない。次なるステージとして、育成世代のための大会Pivo!Jr.Champion’s Cupを立ち上げる。全国各地で予選が開催され、決勝大会には各地の強豪チームが集まる。子どもたちの笑顔と真剣な眼差しに、自身が味わったフットサルの感動を重ねている。
選手を取り巻く環境は大きく変化した。サッカーはワールドカップ常連となり、フットサルもFリーグの発展により裾野が広がった。しかし、その中でも育成の重要性は増していると感じている。
ただ勝敗を競うだけでなく、仲間とともに切磋琢磨し、挑戦する心を育む。それこそがフットサルの魅力であり、未来への架け橋となる。
紙に込めた想いと、もうひとつの夢
デジタル化が進む現代。インターネットやスマートフォンでほとんどの情報が手に入る。しかし川内には、紙媒体に対する特別な思いがあった。
大会結果や選手インタビューをまとめたフリーペーパーを制作。ページをめくるたびに、思い出や物語が蘇る。そこには、記録として残る価値がある。手に取って読む、その重みと温もりを信じている。
将来的には、大人の大会も再び開催したいという。育成からトップ層までを繋ぐ仕組みを、紙と大会で実現することが川内の次なる挑戦である。
挑戦の連鎖を、次の世代へ

フットサルは単なる競技ではない。人と人をつなぎ、地域を盛り上げ、人生に挑戦の機会を与えてくれるものだと川内は言う。
自らが築いた土台の上で、多くの選手が育ち、また次の世代へとバトンが渡っていく。その連鎖の中心に、川内豊という存在がいる。
夢をつくり、つなげる。フットサルというフィールドで、今日もまた一歩を踏み出している。