豊田 遼志郎(とよだ・りょうしろう)

2002年生まれ、大阪府東大阪市出身。
奈良教育大学在学中にコーフボールと出会い、日本代表として国際大会に出場。
2023年U21国際大会(マレーシア)を皮切りに、アジアカップなど複数の国際大会を経験。
大学内でコーフボールチームを立ち上げ、日本選手権準優勝を経験。
2025年春より一般企業に就職予定。卒業後も競技と普及活動を継続予定。


幼少期からスポーツとともにあった日常

大阪府東大阪市で育った豊田遼志郎は、幼い頃から身体を動かすことが当たり前の環境にいた。四人兄弟の末っ子で、上の三人は全員男兄弟。家の中は常に運動と競争に満ちていたという。

小学校ではソフトボール、中学校では野球部に所属し、副キャプテンも務めた。勝ち負けだけでなく、チームをまとめることの難しさや責任を、早い段階から経験してきた。

高校で選んだのはバレーボール部。決して強豪校ではなく、部としての体制も整っていなかった。キャプテンを任され、練習メニューも自分たちで考える日々が続いた。

この頃から、豊田の中には、ただ競技をするだけではなく、自分たちで環境を作るという感覚が芽生えていく。


奈良教育大学へ進学した理由

大学進学にあたり、豊田は奈良教育大学を選んだ。教員を目指していたわけではない。運動が好きで、同じ価値観や趣味嗜好を持つ仲間と過ごしたい。それが、体育系の学びを選んだ一番の理由だった。

卒業後の一般企業への就職も、早い段階で決まっていた。競技者としての将来を描いていたわけでも、プロを目指していたわけでもない。学生生活の中で、夢中になれるものを探していただけだった。

そんな豊田の人生を大きく動かしたのが、大学二年生のときに出会ったコーフボールだった。


軽い気持ちで踏み込んだ、新しい競技の世界

コーフボールとの出会いは、驚くほど偶然だった。地元の友人がTikTokで見つけた、バスケットボールに似た競技。それがコーフボールだった。

新しいことに挑戦するのが好きだった豊田は、深く考えることなく、大阪の社会人チーム・大阪Mッズの練習に参加した。競技経験はほぼゼロ。それでも練習に通い続け、わずか二、三か月後には日本選手権に出場することになる。

初めての日本選手権は四位。自分自身はほとんど何もできなかったという。それでも、全国大会の空気や、競技としての奥深さに触れたことは、大きな刺激になった。


日本代表という言葉が、現実になった瞬間

日本選手権のあと、チーム関係者から声をかけられた。マレーシアでU21の国際大会がある。日本代表として出てみないか。

しかし、代表チームは存在していなかった。ならば、自分で集めるしかない。豊田はそう考え、声をかけ始めた。体育の先生を目指す大学の仲間たちに、旅行気分でもいいから行ってみようと誘った。最終的に集まったのは十一人。2023年8月、即席の日本代表としてマレーシアへ向かった。

大会結果は九チーム中九位。決して誇れる成績ではない。それでも、君が代を歌い、日本代表としてコートに立った経験は、豊田の価値観を大きく変えた。

この遠征は全額自己負担で、十二泊から十三泊、総額は二十五万から二十六万円。奨学金や親の支援を受けながら、何とか捻出した。それでも後悔はなかった。挑戦したからこそ見えた景色が、そこにはあった。


大学に居場所をつくるという挑戦

マレーシアから帰国後、豊田は考えた。この競技を、ここで終わらせたくない。

奈良教育大学にコーフボールサークルを立ち上げ、仲間とともに活動を始めた。同年十一月には、その大学チームとして日本選手権に出場。東京から若手コーチの木村氏のサポートも受け、結果は準優勝だった。大学生活の中で、初めて本気で熱中できるものを見つけた瞬間だった。


コーフボールに惹かれた理由

豊田がコーフボールに惹かれた理由は明確だ。バスケットボールのような対人スポーツで、身体の接触もある。これまでのスポーツ経験が、そのまま活きる。

競技人口が少ないぶん、挑戦のチャンスがある。本気で取り組めば、日本代表も夢ではない。そして何より、男女混合競技であること。年齢や性別を越えて、多様な人と関わる中で、自分自身の視野も広がっていった。


勝つため、広げるための挑戦

2023年3月には、アジア最強と呼ばれる台湾チームとの合同練習のために遠征した。台湾はワールドカップ準優勝経験もある、世界の強豪だ。

2024年には日本代表としてアジアカップにも出場。香港大会では十一チーム中七位、マレーシア大会では八チーム中四位と、確実に順位を上げてきた。

競技と並行して、体験会などの普及活動にも力を入れている。メジャーなスポーツにしたい。その思いが、行動を後押ししている。


社会人になっても続く挑戦

2025年春から、豊田は社会人になる。それでも競技をやめるつもりはない。

地元の東大阪市で新たなチームを立ち上げる構想も進んでいる。最初のチームメイト、大学の卒業生、近隣大学の学生たちとともに、新しい環境を作ろうとしている。

目標は明確だ。技術面では台湾に勝つこと。普及面ではチーム数を増やし、競技人口を広げること。そしていつか、コーフボールがオリンピック競技になる未来を信じている。


挑戦は、自分の居場所をつくること

有名でも、恵まれてもいない競技。それでも、コーフボールには挑戦する価値がある。

豊田遼志郎は、誰かが用意した道を進んだわけではない。自分で選び、自分で動き、自分の居場所を作ってきた。

マイナースポーツの世界で挑戦を続けるその姿は、競技の枠を越えて、多くの人の背中を押してくれるはずだ。

奈良教育大学

奈良教育大学 コーフボール部 Instagram

一般社団法人 日本コーフボール協会

奈良教育大学コーフボール部が出演した近鉄ケーブルネットワーク(KCN)の番組「コロコロチキチキペッパーズのやっべぇぞ!!」