海野伸明(うんの のぶあき)

女子フットサルエバンジェリスト
一般社団法人スポーツリレーションプロジェクト代表
静岡県生まれ、愛知県豊橋市育ち。
大学で上京後、大手信販会社に就職。1990年代末からフットサルに魅了され、観戦・指導・取材・実況・物販など様々な形でフットサルを支える存在に。特に女子フットサルの地道な普及活動を続けており、日本代表の世界挑戦を現地で取材するなど、多方面から女子フットサル界の価値を高めようと奔走している。


サッカーではなく野球少年だった 自分の競技人生と重ねる視点

海野の原点はサッカーではない。幼少期から熱中したのは野球だった。愛知県豊橋市で育ち、硬式野球部で汗を流す高校球児として青春を過ごした。野球の厳しさ、仲間との時間、負けたときの悔しさ。すべてが、後に彼がフットサルに抱く感情と重なっていく。

大学進学で東京に出てきた頃、日本のスポーツ界は大きな転換期を迎えていた。1993年、Jリーグが発足し、サッカーが一気に注目される。海野の勤務先もJリーグのパートナー企業で、スタジアムで観戦する機会に恵まれた。新しい文化としてのプロサッカーに触れ、心が揺さぶられる。

気づけば彼は、アジア最終予選を観戦するためにジョホールバルまで足を運んでいた。いち観客から、熱烈なファンへ。スポーツを観ることの力に、自身の人生が動かされていた。


フットサルとの出会い プレーより観戦、そして指導者の道へ

2000年代初頭、フットサルが日本中で広まりつつあった。東京の街角にはフットサル場が次々にオープンし、週末には多くのアマチュアプレーヤーが集っていた。海野もその空気に惹かれ、フットサルの世界へと足を踏み入れる。

きっかけは一人の選手だった。当時日本最強だった伝説的なチーム、FIRE FOXの上村 信之介(のちにFUTUROを創設)。そのテクニックとインテリジェンス、見る者を魅了するプレーに心を奪われ、関東リーグを追いかけるようになった。当時の関東リーグは全国最高峰。Fリーグ誕生前の華やかかつ熱い舞台であり、観客席からその熱量を肌で感じていた。

やがて「もっと深く知りたい」と感じた海野は、指導者ライセンスの取得に挑戦する。社会人としてフルタイム勤務を続けながら、講習を受け、理論と実技を学ぶ日々。指導者としてのキャリアが静かに始まった。


女子チームで全国の舞台へ 支えることの意味に気づく

最初の指導現場は東京都リーグのFestilo(フェスチーロ)、続いて当時関東リーグに在籍したアヴェントゥーラ川口、タパジーダの監督を務め、さらに東京都女子選抜の監督まで務めた事も。そこには、仕事を終えた夜に練習へ駆けつける選手たち、週末は遠征費を自腹で賄いながら戦うアスリートたちがいた。

女子フットサルは、どこまでもアマチュアだ。だが、そこにはプロにも劣らぬ情熱と覚悟があった。タパジーダでは、日本一を決める舞台である全日本女子フットサル選手権への出場を果たす。限られた環境の中で全国の舞台に立つ喜び、支える側の誇り。海野にとって、この経験は転機となった。

「この人たちのことを、もっと多くの人に知ってほしい」

その思いが、彼を次の挑戦へと駆り立てた。


自ら取材し、発信する ライターとしてのもう一つの顔

海野は女子フットサルに関する情報の少なさを痛感していた。メディアの露出もなく、誰も彼女たちの声を拾っていない。だから自分でやるしかない。そう決意し、自ら取材を始めた。

試合会場に赴き、選手や指導者に声をかけ、メモをとる。家に帰れば深夜まで文章を書き、Webマガジンで公開する。取材・撮影・執筆・編集まですべて一人。読まれる保証も、収入もない。それでも、意味があると信じて続けてきた。

地道な発信活動は、少しずつ選手やクラブ、そしてファンの間で広がっていった。信頼関係が生まれ、関係者からも取材依頼が入るようになる。女子フットサル界にとって貴重な記録者としての立場を築いていった。


フットサルショップPANNA リアル店舗だからできること

東京・府中市にあるフットサル専門店「PANNA」。そこは物販以上の意味を持つ場所だ。海野が自ら立ち上げたこの店舗には、Fリーガーや女子選手がふらりと訪れ、ファンと語り合うこともある。

シューズのフィッティング、ギアの選び方、戦術の話、昔の大会の思い出…。試合映像が流れる店内ではネットでは得られないリアルな会話が、日常的に交わされる。売上だけを追うならネット販売に特化すればいい。だが、フットサルの魅力は“人と人”のつながりにある。海野はそう信じている。

ショップ運営も簡単ではない。感染症流行時には来客が途絶え、経営が苦しくなった時期もある。それでも継続できたのは、ここがフットサル文化の拠点であるという確信があったからだ。


世界に挑む女子フットサル代表 現地で伝えるという使命

2025年、中国で開催されたAFC女子フットサルアジアカップ。日本代表は準決勝でイランを破り、決勝でタイに延長、PK戦の末、見事初優勝を果たし、2025年に開催されるFIFA女子フットサルワールドカップの出場を最高の形で決めた。

この歴史的瞬間を、海野は現地で見届け、伝えた。選手たちの表情、スタッフの涙、歓喜の輪。写真と文章でその熱を届けようと、SNSやWebで発信を続けた。

ワールドカップ本大会にも、自費で現地入りする予定だ。誰かに頼まれたわけではない。女子フットサルの歴史が動くとき、そこに立ち会い、記録を残すことが、自分の役割だと思っているからだ。


挑戦をやめない理由 外から支えるという選択

クラブの代表でもなく、選手でもない。リーグの職員でもない。それでも海野は、女子フットサルのためにできることをずっと考え、実行し続けてきた。

取材者として、指導者として、実況者として、ショップオーナーとして。そして何より、一人の“応援者”として。外からだからこそ見える課題があり、伝えられる声がある。

女子フットサルは、今まさに世界と繋がりはじめている。その舞台に立つ選手たちが誇りを持てるように。観る人たちが胸を打たれるように。海野の挑戦は、これからも続いていく。

フットサルショップ PANNA

女子フットサル応援サイトPANNA-FUTSAL

裏PANNA-FUTSAL

https://www.youtube.com/channel/UCYsLCdQD9tQCSoyyJmK2pKg