
川瀬 将義(かわせ まさよし)
1994年愛知県知立市生まれ。4歳で競技かるたを始め、小学1年生で全国大会にて優勝。中学・高校時代はサッカー部に所属し一時競技かるたから離れるが、大学進学を機に競技へ復帰。大学院、社会人として働きながらも競技活動を継続し、2022年に名人位を初獲得。現在はバリュエンスジャパン株式会社のデュアルキャリア社員として働きながら、競技と普及活動を両立。YouTubeやWebコミュニティ「Karuta Club」などを通じて、競技かるたの未来を切り拓く活動を続けている。
競技かるたの世界──0.1秒を争う“静と動”の勝負

「競技かるたって、こんなに激しいスポーツなのか」
試合を見て、そう思わない人はいないだろう。
“かるた”といえば「百人一首」という優雅なイメージが先行しがちだ。しかし競技かるたは、究極の一瞬を競うスポーツだ。
畳に並べられた双方25枚ずつの札。その一枚一枚の配置を記憶し、上の句が読まれると同時に、最速で手を伸ばす。人間の反応速度の限界といわれる0.1秒を切る動き。思考を挟んでいる余裕はない。
「読まれた瞬間、もう手が動いていないと勝てない」
しかも相手の動き、札の移動、心理戦まで絡んでくる。かるたは、単なる瞬発力の勝負ではない。畳に並ぶ全ての札の位置を記憶し、試合中に何度も入れ替わる札の状況を把握し続ける集中力、相手の癖を見抜き、ブラフやフェイントを駆使して戦う知略。90分を超える試合を何試合も行う大会では、体力も集中力も限界を迎える。
「静寂と瞬発。競技かるたは、“止まっている”のに“動き続ける”ような競技なんです」
肉体的にも精神的にも極限を求められる競技。それが“競技かるた”の本質だ。
一度離れた競技、再び取り戻した情熱

川瀬がかるたを始めたのは4歳のとき。きっかけは家族との百人一首、はじめは坊主めくりだった。何に惹かれたのか、熱中して遊び、気づけば小学1年生で出た大会で全国優勝。魅力に取りつかれた。その後、小学生のうちに最上位のA級選手に昇格し、全国の舞台でも活躍するようになる。
だが、進学した中高一貫校は全寮制で、競技とは離れる。
「環境的に競技かるたを続けることが難しかったので、サッカー部に入りました。それはそれで体力がつき、チームスポーツの魅力もあっていい経験になりました」
転機が訪れたのは東北大学進学後。自分の意志で、再び札を握った。
「中高では学業を優先していましたが、大学では競技をまたやろうと思っていました。団体戦など新しい世界はとても楽しく、今の自分を作ってくれました」
5人制の団体戦では3勝が必要。ひとりの力では勝利できない。眼の前の対戦相手と1枚の札を奪い合う戦い。しかし共に戦う仲間の存在は、競技の魅力だ。
現在の普及活動にもつながる「仲間と協力して全体のレベルアップ」に取り組む日々を過ごし、全国職域学生かるた大会3連覇を達成。大学院、そして社会人になっても競技を続けた。
名人という頂点、そして失ったからこその学び

競技を続ける以上、やはり目指すのは日本一。勝つためには日々のトレーニングが必要。ランニングで基礎体力をあげ、筋トレ、体幹トレーニングにも励む。畳の上で静止するとはいえ、肉体を酷使するスポーツ、日々の鍛錬は怠らない。もちろん、かるたの練習も取り組む。
努力の甲斐もあり2022年、第68期名人戦で初の名人位を獲得。以降、2023年、2024年と防衛を続け、三連覇を果たす。特に2024年には、名人位決定戦・全日本選手権・全国選抜大会という競技かるた界の三大タイトルをすべて制し、圧倒的な強さで“最強の名人”と称された。
「全部取れたときは、達成感よりも“ホッとした”が正直な気持ちでした。責任の重さを感じていましたから」
しかし、王座に居続けることは簡単ではない。2025年の名人位決定戦、防衛戦で敗北。4連覇はならなかった。
「悔しさはもちろんあります。でも、負けたことで新しい課題が見えてきた。まだまだ自分は伸びる、そう思える敗戦でした」
最強の名人と謳われた川瀬も、なお成長の途中にある。“挑戦”は終わらない。
バリュエンスという支え、挑戦の土台

競技かるたは、生活を支えるような賞金が得られる競技ではない。川瀬も大学院卒業後、コンサル会社に就職し、他の社員と同様にフルタイムで勤務していた。
生活のために働くことは必要だが、競技との両立を考え、転職を検討するようになった。そして2022年に縁あってバリュエンスに転職。
「柔軟な働き方を受け入れてくれる環境が何より心強かったです」
バリュエンスでのデュアルキャリアという働き方は、川瀬にとって大きな支えとなっている。
現在はアプリ開発などに関わる一方、練習や大会のための時間を確保し、心身を整える生活サイクルを実現。まさに“挑戦する競技者”の生活を支える環境だ。
また、同社の代表である嵜本晋輔氏が元Jリーガーということもあり、引退後の生活への不安などを理由に競技を諦めることがないよう、選手として活躍しながら仕事を通じてキャリアを形成できる環境を提供したいという想いから、2020年9月よりアスリートのデュアルキャリア採用を開始した。
現在では陸上、サッカー、ラグビー、修斗、ビーチバレーなど、多競技のアスリートがデュアルキャリア社員として在籍。それに加え、副業として歌手、声優、大学非常勤講師などの社外デュアルキャリア社員や、営業部とマーケティング部など、社内で兼務する社内デュアルキャリア社員もいる。こうした多様なデュアルキャリア社員が70名以上在籍していることも大きな刺激になっているという。
※2025年5月時点
広げたい、競技かるたの未来

川瀬は、競技者であると同時に普及者でもある。
自身が運営に携わるWebコミュニティ「Karuta Club」では、競技かるたを観戦したい人、競技かるたを始めたい人、競技かるたで勝ちたい人の3タイプの人々に向けたコンテンツを発信。初心者向けの勉強会やイベント、トークセッションなどを開催。オンライン・オフラインを問わず公開練習や体験会も企画し、裾野を広げようとしている。
YouTubeチャンネルでは、競技かるたの解説や技術紹介、試合の見どころや戦術などを発信。競技を知らない人にもその魅力が伝わるように、言葉を選び、丁寧に伝える。
「競技の奥深さを知ってもらうだけでなく、やってみたいと思ってもらえることが大事。実際に触れてもらうことが、普及の第一歩です」
2030年に競技かるたのプロ化を目指し、そこに向かって活動。競技に打ち込める環境、生活を支える仕組み、観戦者を魅了する演出や情報発信。すべてが揃ってこそ、次のフェーズが見えてくる。
すべての挑戦は、未来への一手
川瀬将義の挑戦は、単なるタイトル獲得のためではない。
競技かるたという文化を未来に残すこと。そのために、仕事、競技、普及。すべてを一手に引き受けながら、今日もまた、札に手を伸ばす。
「たった一枚の札。でも、その一枚には、僕のすべてが詰まっているんです」
取材協力・画像提供 バリュエンスホールディングス