金子和也(かねこ・かずや)

2000年生まれ、埼玉県出身。4人兄弟の3番目。
ゴールボール日本代表キャプテン。所属はSky株式会社。国内クラブチームではゴールデンスターズでプレーする。

小学1年生から野球に打ち込み、リトルリーグで競技を続けるが、小学4年生頃から視力低下が進行。小学6年生でレーベル遺伝性視神経症と診断され、野球を断念する。
中学3年生でパラリンピアン発掘事業を通じてゴールボールと出会い、日本代表育成選手として活動を開始。高校2年で強化指定選手となり、代表入り。

東京パラリンピックでは5位。悔しさを糧に挑戦を続け、パリパラリンピックではキャプテンとして日本男子初の金メダル獲得に貢献。次の目標はロサンゼルス大会での2連覇だ。


ただ野球が好きだった少年に起きた、突然の異変

金子和也の原点は驚くほどシンプルだ。
ただ、野球が好きだった。

兄の影響で小学1年生から野球を始め、リトルリーグに所属。土日も練習がある環境で、小さな体を動かし続けた。

だが、その日常は突然奪われる。

異変に気づいたのは小学4年生の頃。
夜のバッティングセンターで片目を閉じた瞬間、街灯のライトが見えなかった。

翌日、左目の視力は0.5まで落ちていた。

原因はわからず、視力は回復するどころか落ち続ける。
複数の病院を回り、ようやく診断されたのは小学6年生の秋だった。

レーベル遺伝性視神経症。

それでも金子は右目を頼りに野球を続けた。
しかし試合前の練習で目にボールが当たった瞬間、恐怖が身体に残った。

見えない。
そして当たるかもしれない。

好きだからこそ、怖かった。
金子は野球を断念した。


競技を奪われても、スポーツから離れなかった

中学に進んでも金子は野球部に所属した。
だがプレーはしない。

基礎体力づくりには参加し、それ以外はボールやバットを磨く。
それでもチームの中に居続けた。

競技は奪われた。
それでもスポーツから離れたくなかった。

視力低下の原因がわからなかった時期には、精神的なものではないかと言われ、傷ついた。

少年の心に残らないはずがない。

それでも金子は前を向いた。
空手にも挑戦した。

だが本当に求めていた場所は、別にあった。


中学3年、人生を変えたゴールボールとの出会い

中学3年生。高校進学を考えていた時期に、金子はパラリンピアン発掘事業に参加する。
そこで初めて見た競技が、ゴールボールだった。

全員がアイシェードを着け、完全に見えない状態で戦う。
鈴の音だけを頼りにボールを追い、全身を投げ出して守り、投げ返す。

金子が衝撃を受けたのは、プレーの激しさ以上に、その不可思議さだった。

なぜ見えないのに、あんなに自由に動けるのか。
なぜ見えないのに、狙った場所へ投げられるのか。

疑問が、興味に変わる。

自分も、こうなりたい。

その思いが、金子の新しい挑戦の扉を開いた。


ゴールボールとは。音だけを頼りに戦う3対3の競技

ゴールボールは3人対3で戦い、相手ゴールへボールを投げ入れて得点を競う。
ボールには鈴が入っており、選手たちはその音を頼りに位置や軌道を把握する。

最大の特徴は、視力の程度に関係なく全員がアイシェードを装着することだ。
つまり視覚情報はゼロ。音と感覚だけで勝負する。

守備では選手が横一列に並び、全身でゴールを塞ぐ。
攻撃は受け取ってから10秒以内に投げ返さなければならず、判断と連携が問われる。

会場が静寂に包まれるのも、この競技ならではだ。
音が情報となるため、観客も息を潜める。

静けさの中で行われるのは、想像以上に激しい戦いである。


代表を目指してみないか。監督の一言が背中を押した

体験会では当時の男子代表が直接指導してくれた。
金子も投球やディフェンスを体験する。

すると監督から声をかけられた。

投げるフォームがいい。
育成選手から入って、日本代表を目指してみないか。

中学3年生の冬、金子は代表合宿に参加する。
その頃は電車にも一人で乗れないほど不安定な状態だったが、先輩たちが支えてくれた。

そして高校1年で盲学校へ進学。練習環境が整うと、成長は一気に加速する。

高校2年、強化指定選手Bランクへ。
金子の日本代表としての挑戦が、ここから本格的に始まった。


1.25kgのボールが、野球少年を覚醒させた

ゴールボールのボールは1.25kg。
1kgを超える重さがあり、扱うだけでも難しい。

それでも金子は思った。

挑戦できるスポーツを見つけた。

足の運び、踏ん張り、体幹の使い方。
野球の感覚が、ゴールボールの投球にも生きた。

そして金子は回転投げを叩き込まれる。
普通の投げ方よりも、回転投げの方が合っていた。

この偶然が、後に大きな武器となる。


2019年、ボールが失速しなくなった

転機は2019年だった。

狙ったところに投げれば得点になる。
そんな確信が生まれた。

スピード測定で、金子のボールはゴール到達まで約0.9秒。
エース級の選手と同じタイムだった。

初速は劣っていたが、金子のボールは失速しない。
強い回転がかかり、最後まで伸び続ける。

本人は指先でボールを引っかき続ける感覚を大切にしているという。

その積み重ねが、金子をエースへ押し上げた。


東京パラリンピック代表へ。順当だと思えた理由

東京大会の代表メンバーが決まったのは2019年12月。
最終予選のアジアパシフィック選手権で結果を残した選手が選ばれる状況だった。

発表を聞いた時、金子は驚かなかった。

選ばれると思った。

大会ではスタートから出場し、チーム最多得点を挙げ、失点も最も少なかった。
内容も実績も揃っていた。

だがその直後、世界が変わる。

コロナ禍で東京大会は延期となった。


競技を止め、国家試験に挑んだ4ヶ月

延期は金子の人生設計を狂わせた。

高校卒業後に専門学校へ進学し、マッサージや鍼灸の国家資格を目指していた金子。
当初は東京大会後に勉強を始める予定だったが、延期により国家試験が先に来てしまった。

焦った。
そして金子は決断する。

2020年11月から4ヶ月、代表活動を休止し、勉強に集中。
詰め込み、国家試験に合格した。

その後、Sky株式会社へ就職し、代表へ復帰。
だが休んだ代償は大きく、同じポジションの選手に抜かれ、AランクからBランクへ落ちた。

危機感が金子を追い込んだ。

もう一度、取り返すしかない。


東京5位。悔しさが次の挑戦を生んだ

東京パラリンピック、日本は5位。

金子の中に残ったのは達成感ではなく、悔しさだった。
開催国として準々決勝で敗れたことが、重くのしかかった。

チームメイトには、悔しさのあまり競技を辞めた者もいる。

その気持ちが理解できるほど、東京は重かった。

だが金子は切り替えたわけではない。
ただ、悔しすぎて早く練習したかった。

もっと強くなりたい。
その思いが、パリへの挑戦を動かした。


筋肉だけで10kg増。限界を押し広げた3年間

パリに向け、金子はトレーニングを突き詰めた。

東京では67〜68kgだった体重は、パリでは77kgへ。
体脂肪率を変えず、筋肉だけで10kg増やした。

取り入れたのはウェイトリフティング系のメニュー。
クリーンやスナッチなど、瞬発力と体幹を鍛える動きを中心に積み上げた。

東京では80kgが限界だった重量は、パリでは105kgまで伸びた。

だが挑戦は順調なだけではない。

2022年12月の世界選手権。
また準々決勝で敗れた。

金子は思った。

自分のせいで負けた。

不安が押し寄せた。


優勝したブラジルに聞きに行った夜

試合後、金子は優勝したブラジル代表へ向かった。

どうやって練習しているのか。
どういう意識で投げているのか。
速いボールや高いバウンドを投げるには何が必要なのか。

翻訳を用意し、Wi-Fiが届かない環境でもスクショを見せながら質問を重ねた。

勝った相手から学ぶ。
負けた瞬間に、次の成長へ動く。

これが金子和也の挑戦だった。

帰国後、トレーナーから言われた言葉が金子を救う。

トレーニングを始めたのが遅い。だからこそ、これから成果が出る。

腐らずにやれ。

その一言で、金子は再び前を向いた。


自信はない。それでも金メダルだけは譲れなかった

金子は自分に自信があるタイプではないという。
それでも気持ちだけは揺るがなかった。

絶対に金メダルを獲る。

根拠は関係ない。
やってきたのだから勝つ。

その強気な思いだけを握りしめ、パリの舞台へ立った。


準決勝が全て。バス故障を超えたキャプテンの言葉

初戦の相手は中国。
日本は真剣勝負で中国に勝ったことがなかった。

結果は敗戦。
だが金子は思った。

戦えた。次は勝てる。

勝負は準決勝だと考えていた。
準々決勝は突破して当然。そう思えなければ頂点はない。

準決勝の相手は再び中国。
その試合当日、選手村から会場へ向かうバスが故障し、動かなくなった。

最悪のタイミング。
だが金子はキャプテンとして言った。

こんなことがあったら、いいことあるよ。

その言葉がチームを前向きにした。
ハプニングを笑いに変え、準決勝を突破し、決勝へ進んだ。


決勝は延長戦。勝利の瞬間にあったのは安堵だった

決勝は延長戦までもつれる激闘となった。
勝った瞬間、金子が感じたのは喜びではなかった。

ほっとした。

それほどギリギリの戦いだった。

さらに金子にはもう一つの挑戦があった。
レフトだけではなくライトも守る。

宮選手と金子を両サイドに置く形は、日本の新しい武器になった。
新しい挑戦が、新しい勝ち方を生んだ。


金メダルは、自分のものではなかった

表彰台に立った時、金子は実感したという。

ウクライナとブラジルに挟まれた場所に、日本がいる。
それだけで信じられないほどのことだった。

観客席からは日本語の声が聞こえた。
背中を押された。本当に押されたように感じた。

金子は言う。

金メダルは、自分のものじゃない。

家族、友人、チームメイト。
支えてくれた人たちに、ありがとうを形として返せるもの。

それが金メダルだった。


音で見る競技。0.67秒で判断する世界

金子のボールはゴール到達まで0.9秒。
実際はゴールラインより前で守るため、判断時間は0.67秒ほどになる。

その一瞬で、コースとタイミングを読む。

見えてはいない。
だが音で見えているイメージを持つ。

ボールを立体的に想像し、近づいてくる感覚を鮮明に描く。
それができれば、弾かずに止められる。

止めた瞬間から次の攻撃が始まる。
攻撃と守備が連鎖する競技。

ゴールボールは静寂の中で行われる激闘だ。


プレイで示すキャプテンの流儀

金子はキャプテンとして、言葉で鼓舞するタイプではない。
だからこそ意識しているのはプレーで見せることだ。

苦しい時に自分が挽回する。
調子が良いならさらに加速させる。

そしてもう一つ大切にしているのが言葉選び。
代表は大人同士の集まりだ。偉そうに注意するのではなく、対等な立場で接する。

静寂の競技だからこそ、コミュニケーションは短く、正確に。
10秒以内に投げ返さなければならないルールが、その緊張感をさらに高める。

金子はその中心で、チームをまとめている。


次の挑戦はロサンゼルス。金メダルの先にある2連覇

パリで金メダルを獲った今、目標は明確だ。

ロサンゼルスで金メダルを獲り、2連覇する。

そのために半年以内に世界選手権がある。
ロスへの切符を掴む最初の大会になる。

挑戦は続く。
むしろここからが本当の勝負だ。


失った視界の先で、金子和也は挑戦を続ける

少年の頃、野球が好きだった。
視力を失い、野球を失った。

それでもスポーツを諦めなかった。
見えない世界で、もう一度挑戦できる場所を見つけた。

0.67秒で判断し、0.9秒で勝負を決める競技。
その静寂の中で、金子和也は世界一になった。

次はロサンゼルス。
2連覇という新しい挑戦が待っている。

金子和也の物語は、まだ終わらない。
挑戦は、これからも続いていく。


一般社団法人 日本ゴールボール協会

パラリンピックYoutubeにてパリ2024パラリンピック決勝・表彰式をご覧になれます