三浦健太(みうら・けんた)

1997年2月23日生まれ、愛知県出身。早稲田大学への進学を機に上京し、大学時代に早稲田雪合戦の会へ入会した。現在はOBとして競技に関わり続けるだけでなく、社会人チーム 茶道部(雪合戦チーム)の代表としても活動している。社会人として働きながらも雪合戦への情熱は途切れることなく、雪合戦の最高峰である昭和新山国際雪合戦への挑戦を続けてきた。近年は競技人口の減少や大会の継続、運営体制の課題にも強い危機感を抱き、競技の未来を考える立場として、雪合戦そのものを守り、次の世代へ繋ぐための視点を持ちながら活動している。

齋藤 慶人

2005年生まれ、埼玉県出身。幼少期からスポーツに親しみ、小学校ではサッカーや水泳、中学以降はバスケットボールに打ち込んできた。早稲田大学入学後、早稲田雪合戦の会に入会し、現在は現役代表としてチームを率いている。昭和新山国際雪合戦に出場した際、全国トップレベルの強豪との圧倒的な差を目の当たりにし、その惨敗をきっかけに雪合戦を競技として本気で捉えるようになった。現在の課題はメンバーの定着と組織づくり。雪合戦に熱を持つ仲間を増やし、早稲田雪合戦の会の挑戦を次世代へ繋ぐため、模索を続けている。

雪合戦は遊びではなかった。昭和新山で知った衝撃

雪合戦と聞くと、多くの人は冬のレジャーを想像するかもしれない。
だが、この競技は違う。

ヘルメットを被り、7対7で戦う。
1セット3分、3セットマッチという短期決戦の中で、緻密な駆け引きと作戦がある。
勝敗は生存人数だけでなく、フラッグを奪った瞬間に決まる逆転のルールもある。
そして何より、雪球は硬い。痛い。速い。

早稲田雪合戦の会OBであり、現在は社会人チーム「茶道部」の代表を務める三浦健太も、最初は雪合戦を祭りの延長のように捉えていた。

高校時代、テレビ番組で見た雪合戦の企画。
そこで映っていたのは、どこかイベント的な雰囲気だった。

しかし、早稲田大学に入学し、サークル紹介で雪合戦の存在を知る。
そして北海道旅行のような気分で参加した昭和新山国際雪合戦で、彼は衝撃を受けた。

自分より一回りも二回りも年上の大人たちが、真剣に雪球を投げ、勝敗にこだわり、戦術を組み立てていたのだ。

これはスポーツだ。
本気でやらないと恥ずかしい。

雪合戦を人生の挑戦として捉える、最初のスイッチが入った瞬間だった。


同期4人。存亡の危機から始まった挑戦

三浦が入会した当時、早稲田雪合戦の会は決して活発ではなかった。

同期は男女合わせて4人。
先輩も少なく、練習は月に1回あるかないか。
サークルとしての空気は、危機感に包まれていた。

このままでは続かない。
続けるためには、人数を増やすしかない。

そこで三浦たちは、新入生勧誘に力を注いだ。
春の新歓で必死に動き、なんとか10人ほどを確保する。

7人制の競技で、ようやく男子チームが組める。
その希望が見えたのが、2年生の秋だった。

ここから早稲田雪合戦の会は、ただのサークルではなく、挑戦する集団へ変わっていく。


昭和新山は雪合戦の甲子園。負けて気づいた本当の世界

雪合戦には、最高峰の大会がある。
北海道・昭和新山で開催される昭和新山国際雪合戦。

全国の強豪が集まり、勝つための技術と戦術が凝縮される舞台だ。
雪合戦の甲子園と呼ぶにふさわしい場所である。

だが、早稲田雪合戦の会はそこで完膚なきまでに叩きのめされた。

ただ投げるだけでは通用しない。
身体能力だけでも勝てない。
競技としての緻密さが、そこにはあった。

この敗北が、三浦たちの意識を変えた。

勝ちたい。
勝つために考えたい。
勝つために練習したい。

雪合戦に対する挑戦が、ここから本格化した。


センターを取るか、取らないか。3分間に詰まった戦術の奥深さ

雪合戦の戦術は、驚くほど深い。

試合開始直後、最初に訪れる分岐点がある。
センターシェルターを取りに行くか、行かないか。

さらに試合は3分間3セットマッチ。どこで勝負をかけるのかポイント差をどう捉えるのか。流れを読む力が求められる。

使える雪球は90球と決まっている。

つまり雪合戦とは、資源配分の競技でもある。
雪球をどこで使い、どこで温存するか。
攻めるか、守るか。
どの瞬間に勝負を仕掛けるか。

三浦は語る。
雪合戦は戦争だと。

一見、雪球を投げ合うだけのスポーツに見える。
だが実際は、情報戦であり、心理戦であり、戦略の競技である。


勝つために変えた。攻撃から守備への発想転換

三浦たちは当初、勝つためにセンターへ突撃する戦術を選んだ。

相手に近づけば有利になる。
最初はそう信じていた。

だが現実は厳しかった。
センターで動けるメンバーが限られており、人数が削られて崩れていく。

何度も同じ負け方をした。

そして4年生の時、チームは大きな決断をする。
センターを取らない。

一歩引き、守備で勝つ。

相手に攻めさせ、雪球を使わせる。避けることが得意な選手を前に置き、相手の攻撃を受け止めながらも、その中で生まれるわずかな隙を突く。

そして一気に大量アウトを狙うのではなく、少ないアウトを着実に積み重ねて勝ち切る。

守りながら相手の焦りを誘い、試合の流れを自分たちのものにしていく。その戦い方こそが、当時の早稲田にとって現実的な勝ち筋だった。

その戦術がハマり始めた。

勝つために、自分たちを変える。
その挑戦が、少しずつ結果に繋がっていった。


卒業しても終わらない。社会人になっても昭和新山を目指す理由

大学4年生の時に守備型のスタイルへと切り替えたことで、チームは少しずつ変わり始めた。

勝ち筋が見えた。強豪相手でも戦える感覚が芽生え、目標である決勝トーナメント進出へ、確かな手応えを掴み始めていた。

だからこそ、三浦たちは卒業しても競技を続けることを決めた。同窓会の延長ではなく、勝つために続ける。社会人になっても仲間と集まり、昭和新山を目指す挑戦は続いていくはずだった。

しかし、その矢先に世界はコロナ禍に突入する。昭和新山国際雪合戦は中止となり、地方大会も消え、競技の場は一気に失われた。雪合戦そのものが止まってしまうような時間が続いた。

それでも、早稲田雪合戦の会は途切れなかった。現役が活動を続け、火を消さなかった。三浦は、その事実に感謝を込めて語る。耐えてくれた現役がいたから、今がある。

挑戦のバトンは、確かに繋がれていた。


現役代表・齋藤が語る。負けて火がついた昭和新山の現実

一方、現役代表を務める齋藤もまた、昭和新山で現実を突きつけられた一人だ。

埼玉出身。
小学校ではサッカーや水泳、中学以降はバスケットボールを続けてきた。

大学入学後、勧誘のチラシをきっかけに早稲田雪合戦の会へ。
最初は正直、遊びだと思っていたという。

だが、現地で見た世界は違った。

強豪の雪球は速すぎて見えない。
白い世界で、白い弾が飛ぶ。
そこにあるのは、競技者としての格の違いだった。

完膚なきまでに負けた。

しかしその敗北は、齋藤の中に火をつけた。
勝ちたい。
このまま終わりたくない。

昭和新山は、現役世代にとっても挑戦の原点となっている。


40人登録、練習は7人。早稲田が抱えるリアルな課題

早稲田雪合戦の会には、登録上は40人が所属している。
だが実際、練習に来るのは7人、多くて10人ほど。

7対7の競技で、この人数では試合形式の練習すら成立しない。

ロブショットの練習。
セットプレーの確認。
基礎練習中心の時間が続く。

齋藤は率直に語る。
強くなっている実感がない。

さらに、強みも見えづらい。
誰が得意で、誰が苦手なのか。
練習に来なければ把握できない。

一方で、新入生には野球経験者もいる。
剛速球を投げる才能も眠っている。

だが、才能だけでは勝てない。
雪合戦は連携の競技であり、同時に投げるタイミング、避けられない瞬間を作る技術が必要になる。

そのために必要なのは、練習の積み重ね。
そして何より、仲間が揃う環境だ。


選手だけの問題ではない。大会減少とヘルメット不足という危機

雪合戦は、競技としての課題だけではなく、競技環境そのものが揺らいでいる。

地方大会はコロナ禍で消えたまま復活できない例も多い。
温暖化の影響で雪が不足し、屋外大会が体育館開催になるケースも増えている。

さらに深刻なのが、ヘルメット問題だ。

かつてはアシックスがヘルメットを製造していたが、事業撤退によって供給が止まった。

その後、別ルートで製造されたヘルメットも存在したものの、現在はその在庫も尽きつつあり、入手が難しい状況になっている。

フェイスガード単体も手に入りにくく、割れたら終わり。

競技を続けたくても、道具がない。野球で言えば、バットが買えない状態に近い。

これは一チームの問題ではなく、競技全体の存続に直結する課題だ。

三浦は、競技者としてだけでなく、競技を守る側へ意識を向け始めている。
参加数が減り、チームが消えていく現実を、見過ごせなくなっているからだ。


早稲田雪合戦の会は、大学雪合戦の最後の砦

現在、大学のサークルとして雪合戦を本格的に続けているのは、全国でも極めて少ない。
三浦の認識では、北海道の室蘭工業大学と、早稲田大学くらいだという。

つまり早稲田雪合戦の会は、大学雪合戦文化の最後の砦でもある。

早稲田が途切れれば、大学から雪合戦に触れる導線が消える。
競技人口はさらに減る。

だからこそ、続けなければならない。
OBも現役も、そこに使命感を持っている。


目標は決勝トーナメント。そして、その先へ続く挑戦

三浦が目指すのは、昭和新山国際雪合戦での決勝トーナメント進出だ。

去年はあと1セット。
勝っていた試合で、最後にフラッグを抜かれて逆転負け。
その悔しさは、チームに強烈な傷を残した。

だが同時に、可能性を見せた。
手が届くところまで来ている。

そして齋藤は、まず現役の熱を高めたいと語る。

企画担当を置き、月1回でもイベントを打ち、仲間を集めようとする。
その挑戦が、来年の新歓に繋がり、未来の戦力を作っていく。

勝つための挑戦は、日常の中にある。


雪合戦の魅力は、脳が熱くなる瞬間にある

齋藤に雪合戦の魅力を問うと、最初は言葉に詰まった。

ただ、楽しい。
雪が楽しい。
ドッジボールに似ている。

その素朴な感覚こそ、雪合戦の入口なのだろう。

だが、続けるうちに見えてくる。
雪合戦の本当の魅力は、戦略性にある。

仮説を立て、検証し、修正する。
相手の癖を読み、次の一手を考える。

当たった時の快感もある。
ヘルメットに雪球が当たった瞬間の乾いた音。
脳が痺れるような快感。

しかし最終的に人を虜にするのは、勝つために考え抜く時間だ。

雪合戦は、体を使うスポーツであり、頭を燃やすスポーツでもある。


早稲田の雪を、次の世代へ。OBと現役が繋ぐ挑戦のバトン

雪合戦は冬だけの競技ではない。
人生の節目に挑戦をくれる競技だ。

学生時代、仲間を集めて挑んだ昭和新山。
社会人になっても続く戦い。
そして現役世代が、再び火を灯そうとしている。

早稲田雪合戦の会には、勝敗以上の価値がある。

続けること。
伝統を守ること。
そして、次の挑戦者を生むこと。

三浦が守り、齋藤が繋ぐ。
その姿は、競技の未来そのものだ。

雪が減り、道具が足りず、大会も縮小していく時代。
それでも彼らは、昭和新山へ向かう。

早稲田の雪合戦を終わらせないために。

挑戦は、雪球とともに投げ続けられている。


昭和新山国際雪合戦 公式サイト

写真協力:雪合戦マガジン編集部/日本スポーツ雪合戦選手会

早稲田雪合戦の会 Instagram