
平岡 空(ひらおか そら)
1996年、栃木県宇都宮市生まれ。兄の影響で3歳からサッカーを始め、栃木SC Jr.、栃木SCユース、関東学園大学でプレー。卒業後は関東リーグのヴェルフェ矢板に加入し、建設会社で測量の仕事と競技を両立。県リーグ降格を経験するも、2シーズン後に優勝し関東2部昇格を果たす。2023年シーズンをもってサッカーを引退。SNSをきっかけにフットゴルフと出会い競技転向。全国ツアー初挑戦では最下位を経験するが、2024年11月愛知新城カップでツアー初優勝。現在は東京ヴェルディフットゴルフ所属、株式会社ジークに勤務。フットゴルフ日本代表、ワールドカップ出場を目標に挑戦を続けている。
静かな佇まいの奥にある、確かな闘志

平岡空は、第一印象こそ穏やかで朴訥だ。
言葉数は多くなく、語り口も柔らかい。だが、その内側には確かな闘志が燃え続けている。
兄の影響で3歳からサッカーを始め、人生の中心には常にボールがあった。栃木SCの育成組織で育ち、大学でも競技を続け、プロを目指して走り続けた。
卒業後に加入したヴェルフェ矢板では、建設会社で測量の仕事をしながらプレーする日々。決して恵まれた環境ではなかったが、平岡は黙々と自分の役割を果たし続けた。
チームは一度、県リーグへ降格する。しかし2年後、県リーグ優勝を果たし関東2部へ昇格。そのシーズンを区切りに、平岡はサッカーに別れを告げた。
やり切ったという感覚はあった。
同時に、心には大きな空白が残った。

サッカーをやめた先に現れた、新しい挑戦の入り口
サッカーを離れ、仕事中心の生活になった。
会社の人たちと行くゴルフは楽しかったが、心の奥を満たすものではなかった。
転機はSNSだった。
サッカー引退を投稿すると、高校時代の友人から連絡が届く。そこで知ったのがフットゴルフだった。
フットゴルフは、サッカーボールを使い、ゴルフ場で行う競技だ。クラブは使わず、足でボールを蹴り、18ホールを回ってカップインするまでのキック数を競う。できるだけ少ない打数で回った選手が勝者となる。
最初はサッカー経験者なら簡単だろうと思っていた。しかし、実際にプレーしてみると、その考えはすぐに覆された。
フットゴルフという競技の奥深さ
フットゴルフは、ただ強く蹴ればいい競技ではない。
ゴルフと同じく、最も重要なのはマネジメントだ。
パー4のホールでバーディを狙うなら、グリーンのどこに止めれば1打で沈められるのか。そのために、どこにボールを落とすのか。傾斜、芝の抵抗、障害物、風向き。すべてを逆算して組み立てる。
感覚だけで遠くに蹴るのとは次元が違う。
一蹴ごとに判断と集中力が求められる、極めて頭脳的なスポーツだった。
それでも、自然の中で思い切りボールを蹴る解放感は、これまで味わったことのないものだった。チーム競技とは異なり、すべてを一人で背負い、一人で決断する。その孤独と向き合う感覚にも、平岡は魅了されていった。
ファミリーのような競技の世界に惹かれて
フットゴルフは個人競技だ。
試合では全員が敵であり、目の前の一蹴にすべてを懸ける。
それでも、良いプレーがあれば互いに称え合い、練習では助言し合う。競技全体のレベルアップを目指す、大きなファミリーのような空気がある。
その象徴的な存在が、先輩競技者の江田拓哉だった。技術だけでなく、準備や考え方まで惜しみなく伝えてくれた。
平岡は友遊俱楽部FGに加入し、遊びではなく競技としてフットゴルフに向き合うことを決める。新しい競技だからこそ、貪欲に吸収する。その姿勢はサッカー時代から変わらなかった。
全国ツアー初挑戦で突きつけられた現実
2024年1月。
全国ツアー初挑戦となったSHIELDS OPEN。結果は61人中61位。最下位だった。
優勝者とのスコア差は22打。
その現実は、決して小さなものではなかった。
それでも平岡は下を向かなかった。
どうすれば戦えるのか。
どうすればこの競技で勝負になるのか。
考え続け、試し続けた。
TBCオープンで味わった悔し涙 挑戦者としての覚悟が固まった日
努力が形になり始めたのは、10月に行われたTBCオープンだった。
栃木県のTBC太陽クラブで行われたこの大会で、平岡は初日から存在感を示す。
前半31。
首位と2打差。
後半もスコアを伸ばし29。
二日目を首位争いの位置で迎えるのは、フットゴルフを始めてから初めての経験だった。最終組で回る緊張感はあったが、それ以上にトップ選手たちと同じ舞台で戦える高揚感があった。
このチャンスを活かしたい。
吸収できるものはすべて吸収したい。
そして、あわよくば勝利を。
しかし、二日目の後半は思うようにスコアを伸ばせなかった。
この日のスコアは1アンダー。
トータルで9アンダー。
これまでの自分であれば十分すぎる結果だったはずだ。それでも、同じ最終組で回ったトップ選手たちは、14アンダー、13アンダーと圧巻のスコアを叩き出していた。
結果は9位タイ。
その瞬間、平岡の目から悔し涙がこぼれた。
ここで本気で向き合わなければ、追いつけない。
この舞台で戦い続けるためには、もっと成長しなければならない。
静かな闘志が、確かな覚悟へと変わった瞬間だった。
人生を動かす選択

東京ヴェルディフットゴルフへの加入
TBCオープンでの戦いぶりを見ていた東京ヴェルディフットゴルフから、平岡に声がかかった。
東京ヴェルディは、Jリーグの東京ヴェルディを筆頭に、バレーボール、ビーチサッカー、女子ホッケーなどの団体競技に加え、トライアスロン、ゴルフ、パルクールなど、さまざまな競技を展開する総合型地域スポーツクラブだ。フットゴルフもその一つとして位置づけられている。
フットゴルフには、個人戦だけでなくチーム戦も存在する。
Nova Flug、鹿島Ascendiaなどのクラブがリーグを戦い、クラブの一員として結果を残す責任と誇りを背負ってプレーする。
その中で東京ヴェルディは、フットゴルフを含む多競技を通じて、選手の挑戦を長期的に支えるクラブでもある。
栃木にはコースも多く、練習環境としては恵まれている。それでも平岡は、慣れ親しんだ故郷とファミリーのようなYUYUCLUB FGを離れ、東京ヴェルディへの加入を決断した。
挑戦するなら、より高いステージを目指して、クラブの一員として戦い、背中で示したい。
その想いが、平岡を動かした。
競技と仕事を支える、もう一つのファミリー

東京での新たな生活を支える存在となったのが、リフォーム・リノベーション会社ジークだった。
現役アスリートやセカンドキャリアとしての元選手を積極的に受け入れ、FC東京のパートナーとしてスポーツを支援。日本フットゴルフ協会、夢先生、MIPなど、競技や子どもたちの育成にも力を注いでいる。
不動産会社との調整や立会いなど、未経験の業務に戸惑うこともあった。それでも、競技活動を理解し、応援してくれる仲間がいた。
ここにも、ファミリーがあった。
初優勝が証明した、挑戦を続ける価値

11月の愛知新城カップ。
初日を2位で終え、最終組で迎えた2日目。
平岡は、完璧なフットゴルフを見せた。
10バーディ、1イーグル、ノーボギー。
12アンダー58。
通算21アンダーでのツアー初優勝。
涙は出なかった。
ただ、自分の選択が間違っていなかったと、静かに確信した。
フットゴルフとともに、次の世界へ
目標はフットゴルフ日本代表、そしてワールドカップ。
競技を始めてまだ1年半。挑戦は続く。
サッカーをやめたことで、人生は狭まるどころか広がった。
新しい競技、新しい仲間、新しい環境。
静かに燃え続ける闘志を胸に、平岡空はこれからも挑戦を楽しみ続ける。
フットゴルフという面白い競技を、もっと多くの人に知ってもらうために。
画像提供:JFGA 日本フットゴルフ協会
