長谷川 夢作(はせがわ ゆうさく)

1999年生まれ、静岡県掛川市出身。幼少期からサッカーに親しみ、ジュビロ磐田の下部組織で競技に。新潟医療福祉大学へ進学。インカレメンバーとして全国大会を経験。大学卒業後は東京都八王子市に拠点を移し、関東リーグ昇格を目指す社会人サッカークラブ・アローレ八王子に加入。並行して、アローレを支援する株式会社NISHISATOに入社し、営業職として勤務。地域密着のサッカークラブを舞台に、新たな挑戦を続けている。


静岡の土壌が育てた、当たり前のようなサッカー人生

サッカー王国・静岡で生まれ育った長谷川にとって、サッカーはごく自然な日常だった。掛川市で生まれ、年長の頃にはすでにボールを蹴り始めていたという。

「特別なきっかけはなかったです。親に連れられて気づいたら夢中になっていたという感じでした」

小学校からジュビロ磐田のスクールに通い、中学・高校もその流れでジュビロJr.ユース、ユースに所属。目標であり当時の憧れは、クラブのエースだった前田遼一。

サッカーが日常の風景に溶け込んだ静岡。豊富なグラウンド、盛んな育成環境。長谷川にとってサッカーは、選ばれた道ではなく、ごく当たり前にそこにあった。


挫折と気づき、高校時代の1年間がすべてを変えた

ジュビロの下部組織で順調に育ってきた長谷川だが、高校進学後、初めて本格的な挫折を経験する。

「入学当初は全然試合に出られなくて、2年生の1年間は本当に苦しかったです」

仲間との実力差を痛感し、プロを夢見る自分とのギャップに悩む日々。それでも逃げずに、早朝から自主練を重ねた。寮生活の中で、食事、睡眠、体のケアまで見直し、自分を一からつくり直していった。

「その1年間が、一番伸びたと思っています。技術だけじゃなく、メンタル面でも大きく成長できた」

その努力は実を結び、3年生になると試合出場のチャンスが増え、全国大会にも出場。夢を諦めず、大学進学後もサッカーを続ける道を選んだ。


プロ一本に絞った大学4年間

新潟医療福祉大学に進学してからの4年間、長谷川は就職活動すら考えず、プロになるためだけに生きていた。

「就活は一切しなかったですね。インカレにも出場して、何とかプロへ、という気持ちでやっていました」

結果的にJクラブとのプロ契約には至らなかったが、それでも彼の情熱は色褪せなかった。プレーを続けられる環境を探し、辿り着いたのが、東京都八王子を拠点とするアローレ八王子だった。


八王子という土地と出会い、地域クラブの魅力に惹かれて

関東リーグ昇格を目指すアローレ八王子。派手さはなくとも、クラブの一体感や熱量に長谷川は心を動かされた。

「クラブから一番熱心に声をかけていただいたのがアローレでした。前向きにプレーできることを評価してもらえたのが嬉しかった」

そして八王子という街にも徐々に馴染んでいった。最初は交通量の多さに戸惑ったものの、住んでみると、練習環境や自然が残るグラウンドの雰囲気にも助けられ、今では第二の故郷のような存在だという。


株式会社NISHI SATOで働くことになった“縁”と“運命”

アローレ八王子の活動を支えるスポンサー企業のひとつ、株式会社NISHI SATO。長谷川がここで働くことになった背景には、偶然とは思えない巡り合わせがあった。

「前職でお世話になっていた社長と、NISHI SATOの横川社長が試合を観に来てくれていて。紹介してもらったその場で、社員として迎えてもらえることになりました」

現在は営業部に所属し、テレアポや既存顧客の対応などを担当。扱う商品はラベルプリンターや関連消耗品が中心。限られた勤務時間の中でも、クラブ活動と両立できるよう柔軟に対応してくれる社風に、日々感謝している。


地域クラブだからこそ描ける夢がある

長谷川がアローレでプレーする理由は、単なる“サッカーを続けたい”という気持ちではない。クラブそのものが、地域に夢を届ける存在になれると信じているからだ。

「Jリーグ昇格だけがゴールじゃない。このクラブが地域に根づいて、子どもたちの憧れになるような存在になっていけたらいい」

ホームスタジアムの建設、地域イベントの開催、子ども向けのスクール活動。小さな種をまき続けるような地道な取り組みの先に、未来があると信じている。


アスリートとして、社会人として、クラブと共に成長していく

日々のスケジュールは過密そのもの。朝はアローレ八王子の練習。午後からは会社員としてNISHISATOでの業務、週末は試合や地域活動。生活はサッカーと仕事に完全に埋め尽くされている。

それでも、長谷川はどこか楽しそうだ。

「大変ですけど、全部が繋がっている感覚があります。職場でもクラブでも、人に支えられていることを実感する日々です」

今の夢は、クラブの関東リーグ昇格と、アローレをもっと多くの人に知ってもらうこと。そのために、自分にできることを、選手としても社員としてもやり続ける。


長谷川夢作が歩んできた道は、決して一直線ではなかった。挫折や不安を経て、それでもサッカーと向き合い続けた結果が、今の姿をつくっている。

プロになることだけが正解ではない。地域で愛され、支え、支えられながら生きていく選手の姿に、これからのスポーツのあり方が詰まっている。

アローレ八王子 / 株式会社NISHI SATO