
湯浅 拓斗(ゆあさ たくと)
1996年生まれ、福岡県出身。作陽学園高校でのサッカー経験を経て、大学からフットサルへ転向。シュライカー大阪サテライトで競技キャリアをスタートし、デウソン神戸を経て2022−23シーズンより立川アスレティックFCに加入。ピヴォとして得点力を発揮しつつ、日本綜合警備株式会社の社員としても働く二刀流選手。競技と仕事の両立に挑みながら、リーグ優勝、そしてフットサル日本代表を目指す。
幼少期とサッカーとの出会い
湯浅がサッカーと出会ったのは、まだ年中の頃だった。兄や姉がボールを蹴る姿を真似し、気づけば自然とグラウンドに立っていた。生まれは福岡だが、幼少期には石川県、その後大阪へと移り住み、多様な環境で育ったことが彼の柔軟な人間性や視野の広さを育てた。
小学校では大阪府のクラブチームに所属し、地域の大会でベスト4に入るなど、競技への熱中ぶりが早くから際立っていた。もっと上手くなりたい、強くなりたいと、高校サッカーの道を目指し努力していた。
高校サッカーと挫折、そして新しい道
いくつかあった選択肢から決めた進学先は岡山県の作陽学園高校。全国大会常連の強豪校で、寮生活を送りながらサッカー漬けの日々を送った。しかし現実は厳しかった。トップチームでのプレー機会を得ることはできず、下位カテゴリーで3年間を過ごすことになった。
「このままでは限界がある」。そう感じたのは2年生の終わりごろだった。自信を失いかけたその時期に、ふとしたきっかけでフットサルに出会う。選手権に出られないメンバーで編成されたフットサルチームに加わり、そこで全国大会を目指すという新しい挑戦に胸が高鳴った。
狭いコート、スピーディーな展開、瞬時の判断力と技術が求められるこの競技に、サッカーとは異なる面白さを感じた。高校サッカーで挫折を味わった湯浅にとって、フットサルは希望の光だった。
大学での転機とサテライトでの挑戦
大学進学後、本格的にフットサルへと転向した。すぐにより高いレベルを求めてシュライカー大阪サテライトの門を叩いた。
サテライトでは、後にFリーグで活躍する田中晃輝(バルドラール浦安)や松川 網汰(ボルクバレット北九州)らとともにプレーし、自身のフットサル観が大きく広がった。競技の奥深さ、戦術理解の重要性、仲間との信頼関係。すべてが新鮮だった。
Fリーグを制し、その後フットサル日本代表監督となった木暮賢一郎氏、シュライカー大阪レジェンドで昨シーズンまで4年間指揮を執った永井義文氏など名将と呼ばれる指導者と出会えたことは何よりも代えがたい経験。
大学4年時には特別指定選手としてトップチームに招集され、Fリーグの試合に出場。これが自分にとっての大きな自信になった一方で、プロとしてやっていくためには、さらに成長しなければならないという課題も痛感した。
デウソン神戸での成長と決意
残念ながらシュライカー大阪ではトップチーム契約には至らず。しかし、サテライト時代のプレーを見てくれたデウソン神戸の鈴村拓也監督に誘われてデウソン神戸へ移籍。ここではピヴォとして多くのプレータイムを得て、フィジカルやポストプレーの質を磨いた。1シーズンで全試合に出場し、初めて数字としての実績を残した年でもあった。
しかしチーム状況や自身のキャリアを見直す中で、次のステップを意識するようになる。そんな折、立川アスレティックFCへ練習参加の機会を得た。大阪時代から可愛がってくれていた比嘉リカルド監督の存在もあり、環境や指導への信頼感から立川への移籍を決断した。
社会人としての挑戦と日常

立川に移籍後は、立川市に本社を置き、トップチームのパートナー企業である日本綜合警備株式会社に所属し、働きながら競技を続けるという新たな挑戦が始まった。警備員のシフト管理、取引先とのやり取りなど、業務は多岐にわたる。早朝にチーム練習があり、それが終わった朝10時から夕方18時半まで働く。
最初は時間的にも体力的にも厳しかったというが、今ではルーティンとして確立されている。会社の同僚や上司の理解、周囲の支えがあってこそ成り立つ生活。湯浅は「働くことで得られる視点や人間関係が、フットサルにも良い影響を与えている」と語る。
何より、会社の人たちがチームを、そして自分のことを気にかけて応援してくれるのがありがたい。
ピヴォとしての進化と責任

アスレ加入から4年目を迎えた今、湯浅の得点力には磨きがかかっている。サバス監督からは「ピヴォとして点を取れ」と明確に役割を与えられ、自身でもゴールへのこだわりを強く持つようになった。
ボールを受ける位置、パスを出すタイミング、ワンタッチでのシュート精度。どれも少しのズレが結果に大きく影響する。だからこそ日々の練習で細部にこだわり、チームメイトとの連携を重視している。得点だけではなく、守備への貢献、プレスの掛け方など、ピヴォとしての総合的な質が問われる。
昨シーズンは得点王の新井が抜け、湯浅にゴールの期待が掛かったが、思うような結果を残せなかった。そしてチーム得点王の中村が移籍した今シーズン、何よりもゴール数、そしてチームを勝たせるゴールを決めたいと願っている。
チーム、街、未来を見据えて

湯浅がプレーする立川アスレティックFCは、立川市に根ざしたクラブ。彼自身も地域とのつながりを大切にしている。
「立川ってスポーツが盛んな街。だからこそフットサルでもっと盛り上げたい。子どもたちにも夢を与えられるような存在になりたい」
その言葉には、クラブへの愛情と地域貢献への意欲が詰まっている。チームから毎年フットサル日本代表に選出される選手がいる。自分も中堅という立場となり、やはり日本代表でプレーしたいという目標も明確に持ち、今の自分にできる最大限を日々の仕事とプレーにぶつけている。
一度はサッカーで限界を感じ、フットサルに活路を見出した湯浅拓斗。競技への情熱はもちろん、仕事と両立する姿勢、そして地域への思い。そのすべてが彼の挑戦を支えている。
誰よりも練習し、誰よりも考え、誰よりも前を向く。その積み重ねが、きっと彼をさらに大きな舞台へと導くだろう。
画像提供:立川アスレティックFC