水野 哲志(みずの・さとし)

岩手県大船渡市出身。日本大学経済学部卒業。
岩手日報社に入社し、警察担当や運動部記者として現場取材を経験。スポーツが地域に与える影響を実感する。2016年、岩手ビッグブルズの前身である株式会社岩手スポーツプロモーションに入社。2017年取締役、2018年5月代表取締役社長に就任。B3降格と約1億円の債務超過という厳しい状況からクラブ再建に取り組み、2022-23シーズンにはB3完全優勝とB2昇格を達成。復興のシンボルを目指して県民と共に歩み続けるという理念のもと、岩手から挑戦を続けている。



記者として見た、スポーツと地域の力

水野哲志は、もともとスポーツクラブの経営者を志していたわけではない。
キャリアの出発点は新聞記者だった。

岩手日報社に入社し、新人時代は警察担当として事件や事故の現場を回った。昼夜を問わず電話が鳴り、現場へ向かう日々。感情に流されず、事実を積み重ねることを叩き込まれた。

やがて運動部へ異動する。
そこで水野は、スポーツが地域に与える影響を目の当たりにした。

地元チームが勝てば、街が明るくなる。
選手の言葉を紙面に載せると、人々の表情が変わる。

スポーツは単なる競技ではない。
地域の感情を動かす力を持っている。

その瞬間に立ち会えることは、記者として大きな喜びだった。

しかし、その価値観を揺さぶる出来事が起きる。

2016年夏、台風10号が岩泉町を直撃した。
多くの命が失われた現場に応援取材として向かった水野は、ある違和感を覚えていた。

全国から集まったメディアによる熾烈な取材競争。
被災者に向けられるカメラとマイク。

その光景の一部は、自分が思い描いていた記者像とは重ならなかった。

自分は何のためにここにいるのだろう。
伝えるだけで、本当に地域の力になれているのだろうか。

その問いは、心の奥に残り続けた。


記者から、創る側へ

当時、水野は岩手ビッグブルズをはじめ県内のスポーツも取材していた。

地方でプロスポーツを運営することの難しさ。
資金面の苦労。
クラブを支える人たちの努力。

その現実を取材で知るほどに、ある思いが芽生えていく。

もし自分が、伝える側ではなく創る側に立ったらどうなるだろう。

地域スポーツに、自分の人生を懸けてみたい。

記者としてスポーツの力を伝えてきた男が、
今度はその力を自ら証明する側に立とうとしていた。

2016年、水野は岩手ビッグブルズの前身である株式会社岩手スポーツプロモーションへ転職する決断を下す。


どん底から始まった再建

しかし、クラブで待っていたのは厳しい現実だった。

入社当時、スタッフはわずか4名。
経営は破綻寸前だった。

営業、広報、運営の区別などない。
スポンサー営業をすれば、次は会場設営。
試合後には撤収作業も行う。

すべてが手探りだった。

そして2018年5月、水野は代表取締役社長に就任する。

その直後、チームはB2からB3へ降格。
さらに約1億円の債務超過が残されていた。

スタートは、まさにどん底だった。

会社としてはリセットというか、ゼロに戻ったような状態でした。
経営は本当に厳しかったです。

それでも水野は、クラブを畳むという選択肢を考えることができなかった。


震災の年に生まれたクラブ

岩手ビッグブルズは2011年、東日本大震災が発生した年にbjリーグへ参入した。

同年10月、チームは初戦を迎える。

被災地・岩手の復興のシンボルとして、大きな期待を背負いながらの船出だった。

この理念は、水野にとって特別な意味を持っている。

水野の故郷・大船渡も震災で大きな被害を受けた。
しかし当時、水野は直接現場で力になることができなかった。

その葛藤は、長く心に残った。

復興のシンボルを目指して県民と共に歩み続ける。

その言葉は、水野自身への問いでもあった。


泥臭く、足でクラブを立て直す

社長になっても、水野の姿勢は変わらない。

スポンサー企業を訪ねる。
現場に立つ。
スタッフと同じ目線で仕事をする。

その積み重ねが、少しずつ結果を生んでいく。

スポンサー数は前年比3倍。
ファンクラブ会員は倍増。

2019年には約7200万円あった債務超過を解消する。

そして2022-23シーズン、クラブ史上初のB3完全優勝。
6シーズンぶりのB2復帰を果たした。


最も辛い仕事

順調に見えるクラブ運営の裏で、水野にとって最も辛い仕事がある。

戦力外通告だ。

記者時代から知っている選手。
同じクラブで時間を共有してきた選手。

その相手に、来季は契約しないと伝える。

その瞬間だけは、何度経験しても慣れることはない。

だからこそ水野は、社員とその家族の幸せを経営の優先事項に掲げている。

スポーツ業界には、やりがいがあるなら多少の無理は当然という空気がある。

しかし水野は、その考え方に疑問を持っている。

プライベートが充実してこそ、良い仕事ができる。
良い仕事があってこそ、良い興行が生まれる。

現在、クラブスタッフは15名を超えた。
各ポジションに専任スタッフを配置できる体制へと成長している。


岩手の冬に、アリーナという居場所を

岩手は広く、冬は長く厳しい。

雪が積もると屋外イベントは難しくなる。

だからこそ水野は、アリーナという居場所を作りたいと考えている。

音楽と演出に包まれた空間。
暖かい屋内で楽しむバスケットボールの夜。

18歳以下と65歳以上の入場無料制度も、その思いから始まった。

祖父母と孫が一緒に来られる場所にしたい。

盛岡だけではなく、岩手全域へ。
招待事業やバスケットボールクリニックを通じて、クラブと地域の距離を縮める挑戦は続いている。


わんこそばと、じゃじゃ麺と、ビッグブルズ

東北には強い先輩がいる。

秋田ノーザンハピネッツは、事業規模でも動員でも成績でも岩手のはるか先を走っている。

それでも水野は、追いかけ続ける。

岩手と言えば何か。

わんこそば。
じゃじゃ麺。

そこに岩手ビッグブルズの名前が並ぶ未来。

それが水野の描く目標だ。

どん底から言葉と足でクラブを再生させてきた元記者。

その挑戦は、いまも岩手の未来へと続いている。

スポーツは、街の風景を変えることができる。
水野哲志は、その可能性を信じて歩き続けている。

岩手ビッグブルズ 公式サイト