藤原昂亮(ふじはらこうすけ)
1994年生まれ、山梨県出身。
YOU.FO日本代表としてプレーしながら、スポーツメディアの運営、イベント企画、競技普及などを行うマイナースポーツ案内人。
これまでに100種類以上のスポーツを経験し、HADOプレーヤーとしての活動や、各競技の現場に関わるなど、プレーヤーと発信者の両面からスポーツに携わっている。
スポーツを続けている理由が、少し違っていた
知らないスポーツの話をするとき、藤原昂亮は少しだけ楽しそうに話す。
それは、競技の面白さを伝えたいというよりも、その存在を見つけたときの感覚に近い。
まだ名前を知られていないスポーツが、この世界にはいくつもある。
そして、その一つひとつに、誰かが夢中になっている。
藤原は、その事実を知っている。
だから今も、スポーツを探し続けている。
サッカーが好きだった。
特別な選手だったわけではない。
チームに入り、仲間とボールを追いかける。その時間がただ楽しかった。
ただ、その先にあるはずの道を、自然と選ぶことはなかった。
高校ではサッカー部に入るものの、すぐに辞めてしまう。
囲碁将棋部に入ったり、スポーツから離れたりもした。
それでも、完全に離れることはできなかった。
気がつけば、また体を動かしている。
陸上部に入り直していた。
続けたいわけでも、やめたいわけでもない。
ただ、離れきれない。
その距離感のまま、スポーツと関わり続けていた。
就職しなかった理由は、はっきりしていない
大学卒業後、藤原は就職という道を選ばなかった。
強い意志があったわけではない。
ただ、流れに乗らなかっただけだった。
学生時代から続けていた学習塾をそのまま続けながら、自分でできることを増やしていく。
その中で、なんとなく始めたのがスポーツのメディアだった。
当時は、マイナースポーツを広めようとは考えていない。
スポーツに関わる仕事がしたい。
でも、その方法が分からない。
同じように困っている人がいるのではないか。
その程度の感覚だった。
書いても、届かない時間が続いた
メディアを始めた当初、手応えはほとんどなかった。
記事を書いても、読まれている実感はない。
SNSを動かしても、反応はわずかだった。
何が正解なのかも分からない。
そもそも、これに意味があるのかも分からない。
それでも、続けるしかなかった。
スポーツに関わりたい。
その気持ちだけは、はっきりしていたからだ。
文章を書く。
発信を続ける。
少しずつ、できることを増やしていく。
やがて企業の発信を手伝うようになり、発信そのものが仕事になっていった。
知らなかった世界が広がっていく
変化は、取材をするようになってからだった。
聞いたことのない競技。
名前を聞いても想像がつかない。
それでも、その人たちは日本代表だった。
知らないのは、自分の方だった。
話を聞くと、どの競技も同じような悩みを抱えていた。
広めたい
でも、広がらない
競技として存在しているのに、知られていない。
やっている人はいるのに、届かない。
その現実に触れたとき、少しずつ考えが変わっていった。
なんとなく、自分の役割が決まっていった
記事を書くことは続けていた。
けれど、それだけでは足りない気がしていた。
どうすれば、もう少し届くのか。
イベントを開き、体験してもらう。
現場に立ち、直接伝える。
そうやって関わるうちに、立ち位置が変わっていった。
競技をやる人ではなく、
スポーツをつなぐ人。
あとから振り返れば、それがマイナースポーツ案内人と呼ばれるようになった理由だった。
100のスポーツを越えて見えたもの
これまでに経験したスポーツは100種類を超える。
ただ、集めようと思っていたわけではない。
誘われたからやる。
面白そうだからやる。
その繰り返しだった。
一人で続けられる競技もあれば、チームで連携する競技もある。
その中で分かってきたことがある。
人によって、合うスポーツが違うということ。
ある人にとって楽しいものが、別の人には合わない。
だからこそ、選択肢が必要になる。
HADOで見えた、広がる瞬間
HADOに出会ったとき、その感覚は確信に変わった。
見た目は遊びのようでも、やってみるとしっかりとした競技だった。
チームを組み、大会に出るようになる。
そして、Bリーグの試合会場で、ハーフタイムにプレーする機会があった。
多くの人が、その競技を初めて見る。
その場で興味を持つ人がいる。
その光景を見たとき、はっきりと分かった。
競技は、見せることで広がる。
誰もやっていない競技を選んだ理由
YOU.FOに出会ったのは、その少し後だった。
日本では、ほとんど知られていない競技。
プレーヤーも、環境も、まだ整っていなかった。
だからこそ、やってみようと思った。
すでにある場所ではなく、これからできる場所に関わる。
最初は数人から始まり、イベントで体験してもらいながら、少しずつ広げていく。
海外での大会、日本での国際大会開催。
そのすべてが手探りだった。
大会が終わったとき、感じたのは達成感ではなかった。
ただ、終わったという安心感だった。
それが、この挑戦の現実だった。
それでも続けている理由
変化を実感したのは、現場だった。
イベントで声をかけられる。
サイトを見たことがある。
あの記事がきっかけで、このスポーツを知った。
そう言われることが、少しずつ増えていった。
数字では見えないところで、確かに届いている。
その感覚が、続ける理由になっていく。
メディアは、それだけでは終わらない。
読まれた先で、誰かが動く。
その瞬間をつくるために、書き続けている。
スポーツは、選べた方がいい
藤原の考えはシンプルだ。
スポーツは一つじゃなくていい。
速く走れなくてもいい。
球技が苦手でもいい。
合うものは、どこかにある。
ただ、それを知らないだけだ。
だからこそ、伝える。
競技としてではなく、選択肢として。
スポーツを、誰かへつなぐ
まだ知られていないスポーツがある。
そこには、まだ出会われていない楽しさがある。
藤原昂亮は、それを探し続けている。
書いても届かない時間もあった。
それでも続けてきたから、今、届いているものがある。
見つけたものを、言葉にして、場をつくって、誰かに手渡していく。
その繰り返しの中で、少しずつ広がっていくものがある。
それは、大きな変化ではないかもしれない。
けれど、気づいたときには、誰かの選択肢が増えている。
どこかで、スポーツを好きになるきっかけが生まれている。
藤原がやっているのは、きっとそういうことなのだと思う。
そして今日もまた、誰かにとってのはじめてのスポーツが、どこかで生まれていく。
藤原昂亮が運営するメディア MYSPORTS
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