
上村 充哉(うえむら あつや)
フットサル選手 1996年生まれ、奈良県出身。フットサルのトップリーグであるFリーグの強豪、立川アスレティックFC所属。
左足からの強烈なシュートとリーダーシップを武器に、フットサル日本代表にも選出。AFCフットサルアジアカップ クウェート2022では優勝メンバーに。Fリーグイケメン総選挙で1位に輝いたこともあるが、その根本は徹底したファンサービス。子供から大人まで多くのファンに愛される存在。2024年には自身のファンクラブを立ち上げ、競技の魅力発信やフットサル選手の新たな価値創造にも挑戦中。
フットサルとの運命的な出会い

「この競技で、人生を懸けて戦いたいと思ったんです」
静かに、けれど揺るぎない言葉でそう語ったのは、Fリーグ・立川アスレティックFCのキャプテン、上村充哉だ。
現在28歳。端正な顔立ちだが誰よりも熱く、攻撃の芽を摘むパスカットや左足の強烈なミドルが持ち味。ピッチ上はもちろんベンチでも戦い続けるリーダーだ。だが彼の歩みは、決して平坦なものではなかった。
フットサルとの出会い、そして熱中した幼き日々

奈良県で生まれ育ち、ごく自然に幼少期からサッカーに親しんでいた上村にとって、似て非なる競技であるフットサルは“偶然”の出会いだった。
「僕がフットサルと出会ったのは小学生の頃ですね。最初はサッカーをプレーしていましたが、たまたま地元の散髪屋にフットサルスクールのチラシがあって知りました。元フットサル日本代表の方が代表でやっているところです。サッカーとは違うスピード感や、少ない人数でも展開が目まぐるしく変わるところにすごく魅力を感じました。練習を重ねるうちに指導者の方から褒めてもらって『お前は日本代表になって活躍で切る!』と夢を語ってくれたんです。その熱意が嬉しくて、もっと練習するようになりました」
中学まではサッカーも続けていた上村だったが、高校ではフットサルに専念。自らの可能性に懸けて『フットサルで世界に行きたい』という明確な目標があった。
「ワールドカップの舞台に立ちたい」

フットサルワールドカップのテレビ中継を見て「いつかあの場所に立ちたい」と強く思った。高校卒業後は故郷から遠く離れた湘南ベルマーレフットサルクラブの下部組織へ入団し、本格的に競技に取り組んだ。荒削りながらも成長し、トップチーム昇格、Fリーグデビュー。さらには若干21歳で湘南ベルマーレフットサルクラブのキャプテンにも就任。
これだけ聞けば順風満帆なフットサル人生のスタートとも思えるが、ここで上村は壁にぶつかる。
「自分の実力不足です」というが、キャプテンに選ばれたものの出場機会を減らし、ベンチを温めることが多くなる。そして2018-2019シーズンには立川・府中アスレティックFC(現在の立川アスレティックFC)へと移籍し、徐々に輝きを取り戻し、フットサル日本代表にも名を連ねるようになった。
2022年クウェートで開催されたAFCアジアカップではアジア王者のイランに競り勝って優勝し、ワールドカップへの道が強固なものとなってきたように思えた。しかし、順調だったキャリアに突如として影が差す。
ワールドカップ予選敗退。絶たれた夢

2024年。ワールドカップ予選を兼ねたAFCフットサルアジアカップを前に、上村は日本代表から落選する。競争の激しい代表争いの中で、自身の名前が最終のメンバーリストから消えていた。さらに、盤石の体制で挑んだフットサル日本代表は、怪我人の影響もあり初戦を落とし、そのまま予選を勝ち抜けず、ワールドカップ出場権を失ってしまった。
「正直、信じたくなかった。自分はあの場所で戦うこともできなかったし、現実は変えられない。子供の頃から目指してきた“27歳でワールドカップ出場”という夢は、そこで途切れてしまいました」
上村もまた、大きな喪失感を味わった。しかし、それでも彼は前を向く。
「悔しさもあります。でも、まだ終わりじゃない。夢が叶わなかったからといって、挑戦をやめる理由にはなりません」
キャプテンとして背負う覚悟
立川アスレティックFCのキャプテンに就任して5年。責任は増したが、それ以上に、覚悟が強まった。
「チームが苦しいときこそ、自分が先頭で声を出し、体を張る。それが自分の役割」
試合中、時に誰よりも感情を露わにする姿は、チームを一つにまとめる原動力となっている。だが、キャプテンという立場は、それだけでは済まない。
毎年、チームを支えた主力選手がクラブを離れる現実――。
リーグ戦で結果を残し、日本代表に招集され、そしてよりよいオファーで移籍する。選手としては自分の努力が認められた証。しかし、現在の立川には資金力で引き止めることができない。「正直、毎年仲間がいなくなるのは本当に寂しい。でも、それが現実なら、残った自分たちがその分も背負わなきゃいけない。だからこそ、立川というチームの価値をもっと上げていく。それが、僕の挑戦です」
ファンクラブ設立。「フットサル選手が稼げる世界」を目指して
2024年4月。上村は自身のファンクラブを立ち上げた。SNSを通じて思いを発信し、会員限定コンテンツやイベントなど、ファンと直接つながる場を作った。
この取り組みには、もう一つの大きな目的がある。「フットサル選手が、自分の力で稼げることを証明する」という挑戦だ。
「今のフットサル界では、プロ契約といっても生活が成り立つ選手は一部。だから、競技に打ち込みながらも、将来に不安を感じている選手は多いと思います。でも、それを“仕方ない”で済ませたら、未来は変わらない。だったら、自分がまず動いてみようと」
ファンクラブは、選手としての“価値”を自ら創り出すための第一歩。上村の挑戦は、競技の垣根を越えて、スポーツのあり方そのものに問いを投げかけている。
フットサルに出会えた幸運と、未来への責任

「結局、僕はこの競技が好きなんです」
インタビューの最後、そう言って照れたように笑った。
サッカーと出会い、フットサルに惚れ込み、キャプテンとなり、今は“未来を創る挑戦者”としてピッチに立ち続ける。
目指すは、日本代表としてワールドカップの舞台に立つこと。そして、フットサルという競技が「夢を追える場所」であると、若い世代に堂々と示すこと。
挑戦は、まだまだ続く。
取材協力・画像提供 立川アスレティックFC