
アニマル☆コージ(ANIMAL☆KOJI)
福岡県出身の格闘家。柔道の名門・福岡大学附属大濠高校で主将を務め、静岡産業大学、三菱重工名古屋を経て地下格闘技の世界へ転身。K-1やRIZINなどメジャー大会にも出場経験を持つ。個性的なルックスと破天荒な経歴で注目を集める一方、トラブルや大怪我を乗り越えてなお挑戦を続けている。
幼少期の葛藤──怖い父、華やかさへの憧れ、そして柔道との出会い

アニマル☆コージの原点には、「怖い父親」と「男4人兄弟の長男」というプレッシャーがあった。子どものころから体は大きかったが、それを活かせと父に柔道を勧められ、選択肢はなかった。
「本当は野球やバスケがやりたかった。テレビで見る華やかなスポーツに憧れていた」
だが選んだのは畳の上、五厘刈りの武道の世界。道場は厳しく、周囲は本気の大人たち。そんな環境のなかでも、コージは折れなかった。いや、逃げることを許されなかったというのが正しいかもしれない。それでも続けたのは、「強くなりたい」という、内に秘めた願いがあったからだ。絵を描くのが好きだった少年が、自分の存在を証明する手段として柔道に向き合っていた。
中学時代の転機──タイマンで見つけた自信

地元には柔道部がなかったため、福岡市内の中学校に越境入学。そこでも「デカいだけ」と揶揄され、いじられる日々が続いた。ある日突然、塾の帰り道に呼び出され、公園での“タイマン”を命じられる。相手は明らかに年上で大きくて強い。ヤンキーではない自分がなぜ喧嘩をしなければならないのか、わけがわからない。
「喧嘩なんてしたことがない。でも“やれ”って言われたら、やるしかなかった」
無我夢中でぶつかった。気づけば周囲の先輩たちが「もうやめろ」と止めに入っていた。勝ったらしい。よくわからないまま塾に戻り、勉強を続けた。次の日、学校に行くと状況は一変していた。周囲の目が変わり、自分のなかでも何かが変わった。
「初めて、自分に自信を持てた」
それから柔道にも積極性が生まれ、福岡県大会、九州大会でも上位進出を果たすようになった。内にくすぶっていた炎が、ここでようやく燃えはじめたのだ。
柔道エリートの道──オリンピックを夢見て


高校は福岡大学附属大濠高校。全国屈指の強豪校で主将を務めた。夢はオリンピック。それはいつしか具体的な目標となっていた。進学先には静岡産業大学を選び、団体でも個人でも着実に結果を残す。
大学卒業後は三菱重工名古屋に就職。名門企業に勤めながらアスリート社員として柔道に打ち込む日々。順風満帆に見えたが、日本代表の壁は高かった。日本中の柔道家たちがイス取りゲームをする。実力、運、なにかがないとオリンピックの日本代表として戦えない。届かない現実。
柔道をやめても大企業で安定した生活は約束されていたが、内なる炎がまた燃えだした。
「このままの人生を受け入れていいのか?」
自問の末、会社を辞めた。周囲からは猛反対された。それでも、自分の人生を生きる覚悟を決めた。
格闘技との出会い──地下から、表舞台へ

退職後、大学時代の親友と名古屋でBARを開業。開業資金はギリギリ。経営も順風とはいえなかった。何か宣伝になればと始めたのが、格闘技だった。子どもの頃から柔道しかしてこなかった男が、地下格闘技の世界に飛び込んだ。
すると連戦連勝。持ち前の体格と柔道仕込みの技で頭角を現す。
「怖かった。でも、勝ったときの快感はすごかった」

K-1やRIZINなど、誰もが知る舞台にも上がった。見た目とは裏腹に礼儀正しく、気さくなキャラクターは多くのファンを惹きつけた。試合を重ねるごとに応援の声も、スポンサーも増えていった。
激しい関節技でハムストリングスを断裂するなど、大怪我を負いながらも復帰。格闘技という舞台は、彼にとって生きることそのものになっていった。

不起訴と偏見──レッテルと戦う日々

2023年、突然の出来事が彼を襲う。競技をサポートしてくれている先輩に同行し、トラブルに巻き込まれた。マンションの共用部分に入っただけでなぜか住居侵入の容疑で逮捕。本人は「誰かが仕組んだドッキリだと思った」と語るが、警察署、取り調べと全てが現実だった。組まれていた試合はすべてキャンセル。スポンサーも離れた。最終的には不起訴処分となったが、世間は許してくれなかった。
「一度貼られたレッテルはなかなか剥がれない」
見た目や過去の経歴、噂がひとり歩きし、“半グレ”“トクリュウ”など根拠のない中傷がネットに溢れた。
彼は、これまで一つひとつの試合で誠実に闘ってきたつもりだった。しかし現実は厳しく、名誉も信用も一瞬で失われた。
そして大怪我──動けない体、再起への執念
2024年4月5日、交通事故に巻き込まれる。大腿骨骨折をはじめとした重傷で、即入院。今も病室でリハビリが続いている。動きたいのに動けない。戦いたいのに立てない。もどかしさのなかで、今は一歩ずつ、再起への準備を進めている。
「戦いたいというより、みんなを喜ばせたい。勝ったとき、喜んでくれる人がいるから、俺はリングに立つ」
彼は今、人生で最大のリハビリという“闘い”に挑んでいる。病院のスタッフや、応援してくれる人々に感謝を込めて、再びリングに戻る日を目指している。
「挑戦」とは──自分の殻を破り続けること

「挑戦」という言葉がこれほど似合う格闘家は、そう多くはいないだろう。
アニマル☆コージにとって、挑戦とは単に“勝つために強くなる”という表層的な意味ではない。むしろ、自分の過去、環境、失敗やレッテルといった、目に見えない枠や固定観念を壊していく行為そのものだった。
柔道の名門高校で主将を務め、実業団で安定した人生を送っていた時。オリンピックという夢が現実的に難しいと悟った瞬間、彼はその安定を手放してBARを始め、地下格闘技のリングに立った。世間から見れば無謀に映ったかもしれない。けれど彼にとっては、それが“挑戦せずにはいられない”生き方だった。
K-1やRIZINの舞台でもそうだ。相手は自分よりもはるかに体格が上で、試合前には「勝てるわけがない」と何度も言われてきた。だが彼はそのたびに、「勝ちたい」ではなく「負けられない」という言葉を口にした。自分を信じてくれる人がいる。応援してくれる人たちがいる。その期待を裏切れないという責任が、彼を強くしてきた。
さらに、思わぬスキャンダルや事故によって、彼は社会的な信頼を一気に失った。格闘家としてだけでなく、人としても否定されるような日々。それでも「終わりたくなかった」と彼は言う。誰がなんと言おうと、自分が信じるものを貫き、立ち上がる。それこそが本当の意味での「挑戦」だと。
いま、彼は骨折と全身の大怪我を乗り越えるため、長いリハビリ生活にある。再び歩けるようになるか、リングに戻れるか、それすらも不透明だ。それでもアニマル☆コージは、前を向いている。
「俺は、戦うことが好きなんじゃない。何かを成し遂げて、周りの人が喜ぶ顔を見るのが好きなんだ」
勝利の瞬間、応援してくれた人たちが涙を流し、拍手を送り、SNSにメッセージを寄せてくれる。そのひとつひとつが、彼の挑戦を支えてきた。そして、次の一歩もまた、誰かのための挑戦となる。
アニマル☆コージにとって「挑戦」とは、自分自身を信じ抜くこと。どんなに過去に足を取られようと、どれだけ世間から叩かれようと、必ず立ち上がる。だからこそ、彼の挑戦は多くの人に力を与える。
その姿は、リング上だけでなく、人生そのものが“闘い”であることを体現している。