清野 潤(きよの じゅん)

1980年茨城県ひたちなか市出身。高校までサッカーに打ち込み、早稲田大学進学後に兄の奨めでフットサルを始める。大学の仲間とチームを立ち上げ大会に出場、そのチームが後にZOTT WASEDA FUTSAL CLUBとなる。クラブの代表兼監督として、そして株式会社ZOTTの代表取締役としてフットサルの可能性を追求し続ける。ブラジル発のスポーツブランド「DalPonte」等のアパレル事業、育成組織の運営、大会企画、貸別荘経営やヘアメイクサロン経営など多角的な挑戦を続けている。


大学の仲間と始めた挑戦──“何者かになれそう”な熱気のなかで

西暦2000年、日本はサッカーワールドカップ日韓大会を控え、サッカーファンでなくとも高揚した空気が広がり、スポーツの熱気に包まれていた。清野が大学の仲間たちと始めたフットサルは、まだ遊びの延長だった。コートで仲間とボールを蹴るその楽しさに夢中になり、気づけば1Day大会で優勝を重ね、「俺たち結構いけるんじゃない?」と勘違いしかけるほどだった。早稲田のエンジのユニフォーム。ZOTT WASEDA FUTSAL CLUBとメンバーの1人が命名。大会を荒らして回った。

転機は突然訪れた。FIRE FOXという当時国内トップレベルのチームと練習試合をする機会が巡ってきたのだ。木暮賢一郎、小宮山友祐ら、後にフットサル日本代表として世界と戦う選手たちのプレーに打ちのめされた。10点差以上をつけられたが、スコア以上に動きや戦術のレベルの違いを痛感した瞬間だった。

「比べられるものでなかったです。ショックでした。フットサルはサッカーの延長じゃない、全く別の競技だと悟りました」

その日から目の色を変え、レンタルコート代を削り深夜のフットサルコートやゴールの無い体育館で練習を重ね、ダビングでノイズだらけのフットサルのビデオを擦り切れるまで見ては真似した日々が始まった。彼らの挑戦はここから本格的に動き出したのだ。


夢舞台だった関東リーグへ。──ZOTTの選んだ道

ZOTTは東京都リーグを3年で駆け上がり、学生チームとして関東リーグ昇格という夢を叶えた。しかし、その舞台は理想と現実の厳しさを突きつけた。

関東に挑戦する年、メンバーの多くは大学を卒業した社会人1年目。新しい職場、新しい責任、練習に割ける時間は大幅に減った。清野自身も大手航空会社で旅行手配を担当し、残業や海外出張で練習だけでなくリーグ戦も諦めざるを得ない日もあった。そして夢舞台だった関東リーグから1年で東京都リーグへの降格という屈辱を味わうこととなる。

「このままでは自分の大学4年間を捧げたチームが終わってしまう。チームを存続させるためにに道を選び直さなければと感じた瞬間です」

その後転職し、ZOTTに全力で向き合う道を選んだ清野。
多くのチームが2007年に華々しく開幕することとなるFリーグ(全国リーグ)参入を目指す中、彼らはその道を選ばず、関東リーグにこだわった。

当時の関東フットサルリーグは、事実上の日本最高峰の舞台だった。満員の会場、熱い応援、歓声。ときにはCS放送の中継が入ることもあった。ここで戦うことは、トップレベルの熱気と競技レベルを肌で感じられる場所であり、平日朝の練習や、全国遠征が難しい選手たちにとって現実的でありながらも高い挑戦の場だった。
4年の年月をかけZOTTは関東リーグに再昇格を果たす。

ZOTTが関東リーグにこだわった理由。それは選手たちの人生そのものを大切にするためだった。早稲田大学を出て、大手企業に就職しているメンバーたち。
家庭、仕事、そして競技。すべてを大事にしながら本気で戦う、ZOTTのメンバーはそんな集団であり、そんな場所だった。

チームが出来て20年以上が経っても、そのマインドは受継がれている。
ZOTTでフットサル選手として成長し、Fリーグに挑戦する若い選手もいれば、Fはもうやりきったと、競技と仕事の両立をもとめてZOTTでプレーを続けるベテラン選手もいる。それらは、関東リーグという舞台だからできるそれぞれの挑戦なのだ。


フットサルとともに広がる挑戦

2010年、清野は10年間続けたチームを法人化し株式会社ZOTTを立ち上げる。2011年にはクラブ運営だけではなく、ブラジル発のスポーツブランドDalPonteのアパレル事業を本格化。デザイン、企画、販売までを手がけ、2013年にはブラジル本国から日本およびアジアのライセンスも取得。ZOTTの名は競技だけでなくビジネスの世界にも広がっていった。

さらにスクール事業、下部組織を整備。ジュニア、ジュニアユース、ユース、セカンドチームと段階的な成長の場をつくり、選手たちが年齢や実力に応じて挑戦を重ねられる環境を築いた。育成は単なる強化ではなく、フットサルを通じた人間形成、仲間との絆づくり、地域への貢献を大事にしている。

なかには、10歳からZOTTでフットサルを始め、高校生でトップチームに昇格し関東リーグでプレー。U−20フットサル日本代表にも選出され、出場したアジア選手権では優勝に貢献し、MVPを獲得。さらには高校卒業後、世界最高峰のスペインリーグでプレーする大澤雅士のような選手が誕生した。

清野がフットサルを始めて20年以上。小学生から指導してきた子が立派に成長し、世界で戦っていることは素晴らしい。彼の挑戦が次世代へと受け継がれている証だ。

その背景には、スタッフや指導者たちの地道な努力、そして清野の「フットサルというスポーツを使って人間教育をし、成長させていき、世界観を広げていく」という強い思いがあった。

DalPonteのブランドのテーマはCRUZBOLA(ボールの繋がりを意味する造語)。ただ商品を造って販売するだけではなく、清野自身がZOTTの活動を通して『ボールの繋がり』の中で自分の世界観を広げてきた実体験をアパレルを通じて伝える役割を担っており、スポーツビジネスの可能性をさらに広げている。

「ZOTTやDalPonteに関わる全ての人を幸せにし、その輪を広げ続けること、それがこれからの自分の役目だと強く感じています」

そして2019年3月、ZOTTに大きな変化が訪れた。この年の全日本選手権関東大会で優勝し、本大会に進出。抽選の結果、Fリーグで絶対王者として君臨する名古屋オーシャンズと敵地で対戦することとなった。実は長くZOTTを支えた多くのメンバーが、このシーズン限りで本格的な競技から引退を決めていた、最後の花道は最高の舞台が用意された。

結果は3-10の完敗。
そして翌年、清野潤も現役を引退し、監督専任となりひとつの時代が終わった。


コロナ禍と新たな挑戦──頂杯を立ち上げた理由

2020年、新型コロナウイルスが全世界を襲い、公式大会は次々と中止。関東リーグでプレーするZOTTにとって日本一をかけて戦えるフットサル地域チャンピオンズリーグ(地域CL)もその例外ではなかった。大会に向けて積み重ねた努力を表現する舞台を失った選手たちのため、清野は中井健介氏らと協力し、2021年2月に賞金100万円を懸けた独自大会「第1回 頂杯」を立ち上げた。

「舞台が無くなるなら作る、何かを批判するではなく自分がやるべきことを実行する」

第1回大会は無事に成功し、それから第2回、第3回、第4回大会と新たな挑戦の場所を提供していた。しかしコロナ禍はおさまらず、翌年の第22回フットサル地域チャンピオンズリーグも大会まで一週間と迫ったところで中止が発表された。

当時の感染者の状況や世間の風潮などから主催者側のやむを得ない決断ではあるものの、大会開催直前で1年間の思いをかけた舞台が消える辛さ。

その年限りで引退する選手もいれば、初めてその舞台へ到達した選手もいるだろう。

清野は、「もし今年も地域CLが中止になったら自分が全責任を負って頂杯を開催する」と数か月前から考えていた。

そして主催者から中止が発表されたその翌日、清野は地域CLと同日程での第5回頂杯の開催を発表した。会場は地域CLが開催される予定だった浜松アリーナ。

この発表は大きな話題を呼んだ。否定的な意見ももちろんあったが、それ以上に「開催してくれてありがとう」という感謝、喜びの声が大きかった。

結果的に多くの人々の後押しがあり、無事に大会は開催され名古屋オーシャンズサテライトの優勝で幕を閉じた。

清野はこの大会の閉会式のスピーチで『座して死を待つより出て活路を見出さん』と三国志の文言を引用してその時の自身の思いを語っている。批判を受けることを覚悟の上で、地域リーグ更には都道府県リーグのクラブと選手を守るために自分がやるしかないという強い意志をこの言葉から感じ取ることができる。

その後も頂杯は規模を拡大しながら定期的に開催され、2025年5月には第12回頂杯が開催され、多くのアマチュアチームが目指す舞台へと成長している。


フットサルに懸ける想い──これからも挑戦は続く

ZOTTは単なるクラブではない。仕事も家庭も競技も全力で挑む仲間たちの居場所だ。Fリーグという選択肢は取らずとも、その熱量はどの舞台にも引けを取らない。

「ZOTTの活動を通してフットサルがある生活を歩んできたから自分の人生は豊かになった。今度は自分がフットサルに恩返しをする番です」

清野潤とZOTTの物語は、これからも新たな挑戦を続ける。ZOTTの存在意義は、単に勝つことやタイトルを獲得することだけにとどまらない。これまで積み重ねてきた歴史、ボールがつないだ仲間たちと分かち合った時間、そして地域に根差した活動の一つ一つが、清野にとってかけがえのない財産となっている。

彼にとってフットサルは、そしてZOTTは人生そのものだ。これからも、競技の枠を超えて社会とつながり、若手選手の育成、指導者の育成、地域スポーツ文化の発展に貢献していくことを使命と捉えている。その先に見据えるのは、フットサルのさらなる価値の創造と次世代へのバトンだ。ZOTTというクラブを通じて、一人でも多くの人にフットサルの魅力、仲間と挑戦する喜びを伝えていく覚悟でいる。

画像提供・取材協力 ZOTT WASEDA FUTSAL CLUB / 株式会社ZOTT