平岩 優奈(ひらいわ ゆうな)

1998年東京都生まれ。幼少期から体操に取り組み、小学生で海外遠征を経験。2014年には世界選手権日本代表に選ばれるも直前で怪我を負い出場を断念。その後は不振と葛藤の時期を過ごすが、恩師との再会で再び競技に向き合い、2021年の東京五輪代表に選出。2023年に引退。現在はYouTubeや体操教室を通して体操の魅力を発信し続けている。2024年に出産し、母となった今も新たな挑戦を続けている。

オリンピックが「遠い夢」だったあの頃

2013年9月7日。IOCのジャック・ロゲ会長が「TOKYO 2020」と書かれた紙を掲げ、日本中が歓喜に包まれた。五輪招致成功のニュースがテレビを賑わせ、スポーツ界はひとつの節目を迎えた。

だが、当時14歳の平岩優奈の記憶にその瞬間は残っていない。

「正直、オリンピックに出たいとは考えていませんでした」

その年、国際大会には出場していたが、まだ自分とは無関係な“遠い世界”に感じていた。小学生の頃、夢を語るように「オリンピックに出たい」と口にしていたことはあっても、それはどこか“言ってみただけ”のような、実感のない言葉だった。

始まりは「楽しい」から。子ども時代の体操との出会い

平岩が最初に通ったのは水泳教室だった。しかし、冷たい水と退屈な反復練習に早々に嫌気がさし、すぐに辞めてしまった。

次に出会ったのが体操だった。

「側転とか逆上がりとか、少しずついろんなことができるようになるのが嬉しかったんです。毎回違うことをやるから、飽きなかった」

学校でも体操をしていることが知られ、「体育の見本」として前に出されることが増えた。最初は目立つのが嫌で、手を抜いていたこともあった。

「でも、先生に褒められると嬉しくて。少しずつ“やってもいいかな”って気持ちになった」

その積み重ねが、小学生での海外遠征、中学生での全国大会出場とつながっていく。2014年には全日本選手権で3位、平均台で優勝し、世界選手権の日本代表に最年少で選出される。

未来は明るい──はずだった。

崩れた計画。折れかけた心

世界選手権を目前にした練習中、平岩はアクシデントに見舞われる。負傷により、大会出場を断念し帰国。あまりにも突然の決断だった。

「頭が真っ白になりました。“なんで今なの?”って、悔しくて、情けなくて……」

それ以来、心の中に小さな「怖さ」が住みつくようになる。うまく演技ができても、“また怪我をするかもしれない”という不安が頭をよぎるようになった。

「できても怖い。できなければ落ち込む。その繰り返しでした」

演技を心から楽しめなくなり、成績も下降線。夢中だった体操が、いつしか苦しいだけの存在に変わっていた。

「もうやめようかな……」そう思ったことも、一度や二度ではなかった。

もう一度、動き出した体──再会がくれた“もう一度やってみよう”という気持ち

そんなとき、平岩はジュニア時代の恩師・豊島コーチの元を訪ねた。

「体操、もう限界かもしれないです」

そう話しかけた彼女に、コーチは返した。

「じゃあ、うちに来て。今から練習しよう」

その言葉は、まるで何もなかったかのように自然だった。そして実際にマットに立ち、体を動かしてみた。すると、思いがけず技が決まった。

「え? まだできる……って、自分でもびっくりしました。できると思えなかった動きがスッとできたんです」

あの日を境に、平岩の中の歯車が再び動き始めた。恐怖心が少しずつ薄れ、練習を重ねることで「やっぱり体操が好きだ」という感覚が戻ってきた。

成績も上向き始め、自信が少しずつ積み重なっていった。

オリンピックを“目指していた”のではなく、“たどり着けた”という事実

平岩が東京オリンピックを目指していたかと問われれば、答えは少し違う。

「正直なところ、“東京を目指していた”というより、“目の前のことを続けていたら、そこにたどり着いた”という感じです」

2020年、新型コロナの影響で東京オリンピックが1年延期となる。その“たった1年”が、平岩にとっては計り知れない意味を持った。

「あの1年がなかったら、私は出られなかったと思います。延期のおかげで状態が上がって、直前にピークがきたんです」

まさに、“奇跡のタイミング”。ずっと諦めかけていた舞台に、思いがけず立てることになった。

「成績は思うようにいかなかったけれど、“やりきった”と思えた。それが一番の収穫でした」

自分で自分を納得させられたことで、2023年の引退をすがすがしい気持ちで迎えることができた。

体操を「伝える」挑戦へ──YouTubeと指導の道

2021年、平岩はYouTubeチャンネルを立ち上げた。競技者としてではなく、体操を“伝える人”としての挑戦だった。

「体操って華やかに見えるけど、裏では失敗も葛藤もある。だからこそ、そういうリアルな部分も含めて届けたいと思ったんです」

彼女の発信は多くの共感を呼び、「体操のイメージが変わった」「選手の気持ちがわかるようになった」との声が寄せられるようになった。

バラエティ豊かな動画は様々なファンの心を掴み登録60万以上に成長。オリンピックに出場した選手だったことを知らない人も多い。

そして2024年、自身の体操教室「ジムオルソ大塚店」を立ち上げる。世界を目指す選手を育てる場所ではない。彼女が大切にしたのは「体操って楽しい」と思ってもらえる場所をつくることだった。

母となっても、挑戦は終わらない

同じ年、平岩は出産を経験。母としての生活が始まっても、彼女の挑戦は止まらない。

「子どもを持ってからは、より一層“続けることの価値”を感じるようになりました。どんな形でも、自分が楽しんでやってる姿を子どもにも見せていきたい」

トップアスリートとしてのキャリアが一区切りしても、平岩優奈の挑戦は続く。

それはきっと、“一度やめようと思った”からこそ、見える景色なのだ。


平岩優奈Youtubeチャンネル / ジムオルソ大塚店