
三井 健(みつい たけし)
パーソナルトレーナー/MITSUI SPORTS SCHOOL主宰
1984年、東京都府中市生まれ。サッカー少年として育ち、地元で盛んだったフットサルに熱中。高校を中退後、2浪を経て日本体育大学へ進学し、身体動作学を専攻。2008年に湘南ベルマーレフットサルクラブでFリーグデビュー。その後、神戸、浦安、浜松、府中と複数のクラブを渡り歩き、約10年間トップリーグでプレー。度重なる怪我に苦しみ、2017年に左膝前十字靭帯断裂の重傷を負い、トップリーグから引退。関東リーグでプレーはしつつ自身のジムとスクールを立ち上げ、小学生から大人まで幅広い世代のパフォーマンス向上と心身の成長をサポートしている。
一流になれなかった現役時代、そして気づいた“本当の価値”

「もっと上に行けたはず——」
現役時代を振り返ったとき、三井健の胸に浮かぶのは悔しさだ。
2008年、湘南ベルマーレフットサルクラブでFリーグデビュー。期待を胸にトップリーグへ挑戦するも、度重なる怪我に苦しみ、思うような結果を残せなかった。神戸、浦安、府中、浜松とクラブを渡り歩き、出場機会を求めて懸命に戦った。
「一流にはなれなかった。その現実は受け止めてる。でも、無駄じゃなかった。怪我をして、思い通りに動かせない身体と向き合ってきたからこそ、今の自分がある」
2017年、府中での復帰シーズンに左膝の前十字靭帯を断裂。トップリーグからの引退を決断した。
身体を学び直す——“動き方”に隠された真実
三井は日本体育大学で「身体動作学」を学んだ。選手時代の怪我の多さが、その関心をさらに高めた。どうすれば怪我をしない体がつくれるのか。なぜ、同じような怪我を繰り返してしまうのか——。
「怪我を治すのは医者。でも、痛みや怪我の“原因”はもっと前にある。動き方、姿勢、筋肉の使い方。そこを整えれば、怪我を“未然に防ぐ”ことができる」
人体には600以上の筋肉があり、それぞれに役割がある。正しいトレーニングがされなければ、その筋肉は働かない。
「どこを鍛えるべきか、どう動けば負荷が逃げるのか。知識がなければ“ただがんばる”だけじゃ結果は出ない。選手時代にそれを知らなかったからこそ、今は伝える側として向き合いたい」
立ち上げたジムとスクール。喜びの“鳥肌”が原動力

トップリーグ引退後、三井は「MITSUI SPORTS PERSONAL GYM」と「MITSUI SPORTS SCHOOL」を立ち上げた。対象は小学生から社会人まで。怪我予防から競技力向上、リハビリ後の復帰支援まで幅広いサポートを行う。
「腰が痛い」「足首が不安定」——そうした声に、筋力や可動域、日常の姿勢や癖を観察しながらアプローチしていく。
「選手が痛みなくプレーできるようになって、“また走れるようになった”“試合に出られた”と報告してくれる。その瞬間、鳥肌が立つんです」
怪我に泣いた現役時代。だからこそ、誰よりも“痛み”に寄り添える。
コロナ禍で突きつけられた問いと、仲間の言葉
2020年、新型コロナウイルスの感染拡大は、対面での指導を基本とする三井の仕事に大きな影響を与えた。パーソナルトレーニングという性質上、キャンセルは続き、スケジュールは真っ白に。
「どうすればいいかわからなかった。広告を出そうか、料金を下げようか——迷ってばかりでした」
そんなとき、心に残ったのが、府中アスレティックFC時代のGM・中村恭平氏の言葉だった。
「“今来てくれているお客さんがよろこんでくれること。それに全てを尽くすんだ。”って言われて、ハッとしました」
それからは目の前の一人ひとりと丁寧に向き合うことに集中した。すると、口コミが口コミを呼び、広告なしでもジムとスクールはともに成長。現在では、パーソナルトレーニングは25人超、スクールには50人以上が通っている。
「気づけば“忙しい”って文句を言いたくなるくらい(笑)。でも、すごくありがたいことです」
忘れられない光景、そして学び直した努力の本質
三井には、今でも忘れられない光景がある。
ジムを立ち上げて数カ月後のある日。訪ねてきたのは、かつて府中アスレティックFCで共にプレーした後輩・皆本晃。フットサル日本代表としてワールドカップにも出場したトップ選手だ。
「全体練習のあと、ジムを使わせてほしいと来たんです。そのときのトレーニング量に、正直衝撃を受けました」
すでに練習を終えているはずの皆本が、何事もなかったように汗を流し、ひたすら自分の課題と向き合う姿。
「チームの練習って、自分のためだけにやる時間じゃない。そこでは“個人”より“全体”を優先する。その分、自分に必要なことは、自分で時間を作ってやる——今さらながらに痛感しました」
トップ選手の努力を間近で見たあの日から、三井は自分の姿勢を改めた。
「現役時代は、正直、矢印を自分に向けられていなかったと思うんです」
選手としてプレーしながらも、どこか「誰かが見てくれるだろう」「誰かが何とかしてくれるだろう」と他責的な思考に傾いていたという。
“自分に矢印を向ける”——セカンドキャリアの決意

「でも今は違う。自分が変わらなきゃ、何も変わらない。毎日が挑戦です」
スクールの子どもたち、トレーニングに通う大人たち。その“変化”を間近で見ている今の三井は、まっすぐに未来を見つめている。
「プレーヤーとして一流にはなれなかったけど、トレーナーとして、セカンドキャリアでは後悔したくない。だから、毎日全力で、目の前の人と向き合ってます」
引退は終わりではなかった。新たな挑戦の始まりだった。