
渡邉 知晃 (わたなべ ともあき)
くらしき作陽大学講師 生涯スポーツ支援・振興センター副センター長(兼)フットサル部 監督
1986年東京都生まれ、福島県郡山市出身。県立郡山高校時代は成績オール5、文武両道を貫く。順天堂大学では蹴球部に所属するも退部後フットサルに転向。大学卒業後、ステラミーゴいわて花巻でFリーグデビュー。名古屋オーシャンズ、府中アスレティックFC、大連元朝足球倶楽部(中国)、Bintang Timur Surabaya(インドネシア)などで活躍し、フットサル日本代表として66試合に出場。2017-18シーズンにはFリーグ得点王を獲得。2021年に引退。ABEMA解説や執筆活動などを経て、2025年4月よりくらしき作陽大学講師、フットサル部監督に就任。
元フットサル日本代表ストライカーが描く、新しい大学フットサルの未来
くらしき作陽大学に、全国の注目が集まっている。2025年春、新設されたフットサル部。その指揮を執るのは、かつて日本代表のエースとして活躍した渡邉知晃だ。現役時代はFリーグ得点王を獲得し、日本代表として66試合に出場。引退後は解説や執筆活動など多岐にわたって活動してきた渡邉が、次に選んだ挑戦の舞台は、地方の大学の“ゼロからのスタート”だった。
「ただ勝つチームではなく、未来につながるチームをつくりたい」
その言葉に、渡邉の覚悟がにじむ。
勉強もサッカーも、自然体で向き合い続けた10代
生まれは東京だが、小学校3年生から福島県郡山市に転居。体格に恵まれ、成績も優秀だった。中高時代は勉強も運動も自然と努力ができるタイプで成績はオール5。もちろん努力はしたが特別に意識せずとも好成績を残していたという。進学校・県立郡山高校を卒業後、順天堂大学へ進学。蹴球部に入部するも、「人生はもっと広い視野で考えたい」と感じ、1年間活動した後に退部を決意した。サッカーを離れてみて気づいたのは、やはりボールがない生活はどこか物足りないという感覚だった。
間もなく大学のフットサル部に参加。渡邉のプレーに何かを感じた先輩から関東リーグ強豪・BOTSWANA FC MEGURO(現フウガドールすみだ)の練習に誘われる。ここで競技フットサルの魅力に触れ、のめり込んでいった。
「競技レベルのフットサルは、狭いコートでの判断、戦術、スピード……サッカーとは全く違う刺激があった」
ちなみにその先輩とはのちにFリーグで何度も対戦し、フットサル日本代表ではともに日の丸を胸につけ戦った佐藤亮氏(現フットサル日本代表フィジカルコーチ)だ。
プロとして、そして日本代表として

2009年、大学卒業後にステラミーゴいわて花巻へ入団し、Fリーグデビュー。得点を重ね、ほどなく日本代表入り。2011年には絶対王者・名古屋オーシャンズへ移籍し、国内外のタイトルを総なめにした。
2015年、挑戦を求めて中堅クラブ・府中アスレティックFCへ。加入まもないカップ戦で優勝し、クラブ初タイトルをもたらし、実力を示した。中国、インドネシアなど海外でもプレーし、帰国後にはリーグ得点王に輝いた。
しかし、順風満帆に見える道の裏で、苦しみもあった。
「2016年にW杯予選で敗退したときは、正直、引退も考えました。でも、その悔しさが自分を突き動かしてくれた」
競技フットサルの世界は、メディア露出も報酬もサッカーとは比べものにならない。それでも、ボール一つで感情が動くスポーツの魅力に、彼はすべてを懸けた。
セカンドキャリアへの備えと学び
大学では教員資格の取得、現役時代にもスクール運営にも取り組んできた渡邉。2019年には順天堂大学大学院でスポーツ健康科学を学び、午前は練習、午後はスクール運営、夜は講義というハードスケジュールを2年間続けた。
「何でも器用にできたわけじゃないです。ただ、自分が決めた目標に対して“今何をやるべきか”を考えて、積み重ねてきた。その結果、周りからそう見えているだけだと思います」
ABEMAでのFリーグ解説や、フットサルメディアのライター業、さらには独自のシュート理論を解説する著書の執筆などにも挑戦。プレーヤーとしての道を極めるだけでなく、“伝える側”としてフットサルの価値を広めることにも情熱を注いできた。
新設チームでの“ゼロからの挑戦”

2024年7月、くらしき作陽大学がフットサル部創部を発表。あわせて、その初代監督として渡邉知晃の就任が発表された。
現役引退後、ABEMAでの解説や大学院での学びを通して、フットサルを「教える」側に回りたいという気持ちが芽生えていた渡邉。
「多摩大学フットサル部の福角監督から“岡山で監督を探している大学がある”と聞いたんです。実は岡山には行ったこともなく、最初はあまり現実的には考えれていなかったですが、せっかくのお話なのでまずは話だけでも聞いてみようかなと」
自身の経歴を送付すると、ほどなくしてくらしき作陽大学の理事であり、作陽学園高校の校長でありサッカー部の総監督である野村先生から連絡が入った。そこで面談の機会が設けられ様々な話をすることができた。
「“ゼロから一緒につくる”という環境に大きな可能性を感じたんです。今までの歴史があるわけではなく、一から作っていくというところに魅力を感じ、挑戦したいなと思いました」
就任が決まってからは、ほぼ毎週のように全国各地を飛び回り高校やクラブチームの選手に声をかけ、入学予定の選手をスカウトしてまわった。

2025年4月、新1年生17名のみのチームが船出を迎えた。上級生はいないフレッシュな構成。渡邉自身も岡山に生活拠点を移し、指導に全力を注いでいる。
「毎日一緒に過ごしているからこそ、選手の変化にすぐ気づける。これはプロチームではなかなか得られない経験。責任も大きいけど、やりがいはものすごくあります」
「フットサルを通して、人としても成長してほしい。技術だけではなく、礼儀や習慣、周囲への感謝、そういったことまで伝えたいと思っています」
GWには、包括連携協定を結んだ名古屋オーシャンズの施設・オーシャンズフィールドで合宿を実施。技術面だけでなく、団結力や生活習慣の徹底など、大学生アスリートとしての意識改革も進んでいる。
「合宿中は食事、移動、練習と全てがチーム単位で動く。自分たちで考えて動くことも多く、みんな確実に成長していた。選手たちが“楽しい”と言ってくれるのが嬉しかったですね」
初陣となる第21回全日本大学フットサル大会岡山県大会では、見事連勝で中国大会への切符を手にした。
「もちろん嬉しかったです。でも、大事なのは“ここから”。試合に勝ったことで浮かれるのではなく、次に向けてどう準備するか。そこを彼らには伝え続けたい」
作陽から世界へ。勝利の先にある挑戦

「このチームを大学日本一にする。そして、そこから世界へ出ていく選手を育てたい」
目先の勝利を追うだけではない。戦術理解、フィジカル強化、メンタルタフネスなど、フットサルに必要な総合力を高め、“本質的に強いチーム”を目指す。
勝ちを拾うフットサルではなく、勝ちをつかみにいくフットサルを。守備を固めてカウンターという勝利のために徹する戦い方ではなく、支配し、仕掛け、観客を魅了するフットサルを——。
「“作陽から世界へ”というのは夢物語ではなく、本気の目標。だからこそ、指導にも妥協はしません」
「この大学での挑戦は、僕自身の挑戦でもある。選手と一緒に学び、成長していくことが楽しみなんです」
その挑戦の旗を掲げ、渡邉は今日も、体育館で若い選手たちに語りかける。

渡邉知晃(著)