富田 一輝(とみた かずき)

1995年2月1日生まれ。大阪府出身、埼玉県育ち。幼少期から大学までテニスに打ち込み、高校ではインターハイ出場。大学卒業後は物流系企業に就職。社会人として働きながらパデルと出会い、競技開始から約1年半で日本ランキング1位に。
2019年、単身スペインへ渡り本場での挑戦を開始。現在は国際パデル連盟 FIP ツアーを中心に世界を転戦している。YouTube での発信やクラウドファンディングなどを通じ、競技普及にも力を注ぐ。愛称はトミカズ。

パデルという競技の可能性

パデルという可能性

パデルは、テニスとスカッシュを融合させたようなラケットスポーツだ。
ガラスと金網に囲まれたコートで2対2で行われ、壁に当たって跳ね返ったボールも有効になる。

この壁の存在が、競技をまったく別のものにする。
パワーよりも戦術。瞬時の判断。パートナーとの連携。

スペインやアルゼンチンでは爆発的に広がり、都市部ではコート数が急増。プロツアーは観客で埋まり、トップ選手はスター扱いを受ける。

しかし日本では、まだ黎明期だ。
コート数も少なく、世界との差は大きい。

だからこそ挑戦の価値がある。
このギャップを埋めるために世界へ飛び出した日本人がいる。

富田一輝だ。


できると思っていたのに、できなかった

小学生から大学までテニス一筋。
卒業後は物流系企業へ就職。

安定した未来があった。

だが友人に誘われたパデル体験で、その未来は揺らぐ。

できると思っていたのに、できない。

壁に当たって跳ね返るボール。
自信のあったラケットワークが通用しない。

悔しさが火をつけた。

仕事終わりに練習。休日は遠征。
動画を見て独学で戦術を研究する。

半年で大会出場。
1年半で日本ランキング1位。

だが彼は理解していた。

これは世界基準ではない。

日本1位から、世界へ

彼は決断する。

アジア人として初めてWPTで戦う。
人生を懸ける。

Instagramに投稿した宣言は、覚悟そのものだった。

『私は、アジア人として初めてWPTでプレーすることに人生を懸ける決意をしました。目標はトップ20。スペインへ渡ります。やってやるぞ。』

一人のプレーヤーとして、パデルをアジア、そして日本に広めたい。

現在、日本を離れスペインで生活するための住まいと仕事を探しています。

そして彼は、自分にできることを並べた。

パデルコーチ
テニスコーチ
日本語
スペイン語と英語 初級
笑顔

夢を語るだけではない。
仕事をください。挑戦させてください。

無謀にも見えたその投稿は、世界に届いた。

パデル界のレジェンド、フェルナンド・ベラステギンからコメントが届く。

君は最高だ。アジアのパデル発展のために頑張ってくれ。

世界王者に認められた瞬間だった。

だが、物語はここで終わらない。

スペインのパデルメーカー orven の社長が、その投稿を目にする。

遠い日本で、たった一人で世界に挑もうとする若者。
覚悟を言葉にし、支援を求める姿。

心を動かされた社長は、驚くべき決断を下す。

自ら日本へ飛んだ。

画面越しではない。
直接会いに来た。

日本のコートで対面した二人。
言葉は完璧に通じなくても、ラケットを握れば伝わる。

本気だ。

その確信が、支援へとつながる。

orvenがサポートを決定。
用具提供だけではなく、スペインで戦うための後ろ盾となる。

コネも資金もなかった若者が、
夢を宣言し、
世界王者に認められ、
スペイン企業のトップが日本に会いに来る。

偶然ではない。

覚悟を行動に変えた結果だ。

ここから、トミカズの本当の挑戦が始まった。



世界で知った現在地

スペインで待っていたのは厳しい現実。

ジュニア世代に圧倒される。
日本1位は通用しない。

ビザ問題。資金不足。孤独。

生活費を考えて、食事を節約する日もあった。

だが彼は立ち続けた。

現在はFIPツアーを転戦。
オーストラリア、バーレーン、カタール、エジプト、インド、ドバイ、南アフリカ。

1週間ごとに国が変わる生活。
拠点はない。

YouTubeでは海外遠征の様子やリアルな生活を発信。
言語が完璧に話せなくても、コートに立てば世界とつながれる。

スポーツは国境を越える。

その実感こそが、彼を前に進ませる。

迫るかもしれない、現実の大舞台

そして今、もう一つの可能性がささやかれている。

2026年、愛知・名古屋で開催される
アジア競技大会。

パデルは、この大会での採用が検討されている競技の一つだと伝えられている。現時点で正式決定ではない。だが、もし採用が実現すれば、日本にとっても、そして富田一輝にとっても、大きな意味を持つ舞台になる。

日本開催。
アジアのトップが集う国際大会。

世界を目指して転戦を続ける彼にとって、祖国で開催されるアジア最大級の大会は、現実的かつ象徴的なターゲットになり得る。

アジア人として初めてWPTで戦うと宣言した男が、
もしアジア大会の舞台に立つことになれば――。

それは単なる出場ではない。
日本パデルの現在地を示す機会となる。

まだ決まってはいない。
だが、可能性はある。

そして挑戦を続ける者にとって、
可能性があるという事実こそが、前へ進む理由になる。

夢は、遠い理想ではなく、
少しずつ現実に輪郭を持ちはじめている。


オリンピックを引き寄せる

彼の目標は明確だ。

パデルをオリンピック競技にすること。
そしてその舞台に立つこと。

待つのではない。
自分が世界で活躍することで、アジアの競技熱を高める。

FIPランキング200位以内。
プレミアパデル本戦出場。

戦術の引き出しを増やし、変化への対応速度を上げる。
2対2という競技で、パートナーと瞬時に戦略を共有する。

世界との差は確かにある。
だが確実に縮めている。


マイナーをメジャーへ

欧州や南米ではメジャー。
日本ではまだ発展途上。

だが、競技人口は増え始めている。
コートも増えている。

これから伸びる競技だ。

その黎明期に世界へ飛び出し、本場の技術を持ち帰ろうとしている日本人がいる。

富田一輝。

彼の挑戦は、個人の夢を超えている。
日本パデルの未来そのものだ。

安定を捨て、世界を選んだ男。
今日もトミカズは、壁に跳ね返るボールを追いながら、未来を引き寄せている。

挑戦は、まだ終わらない。


一般社団法人 日本パデル協会(Japan Padel Association)