久保田結(くぼた ゆい)

1991年生まれ、東京都大田区出身。中学・高校では硬式テニス部に所属。薬の研究者を志し薬学分野を学び、大学院へ進学。学生時代にフランス発祥の球技スポールブールと出会い、競技を継続する中で日本代表へ。
2023年にフランスで開催された世界選手権に初出場。2024年にはオーストラリアで行われたアジア・オセアニア選手権に出場し、女子ダブルス、女子コンビネ、女子ラピッドの3種目で優勝を果たした。
競技と並行して塾経営や教育分野での活動を重ね、現在はコーチングを軸にフリーランスとして活動。スポールブールで世界一を目指し挑戦を続けている。


夢を叶えた瞬間、次の挑戦が始まった

日本代表。
世界選手権。

多くのアスリートにとって、それは人生の到達点のように語られる。
辿り着くだけで十分にすごい。そこに立つだけで物語になる。

だが久保田結は、夢を叶えた瞬間に、別の感情を手に入れた。

もっと勝ちたい。

その想いがはっきり形になったのは、2024年の国際大会。
オーストラリアとの女子ダブルスで初勝利を掴んだ瞬間だった。

勝つことは、こんなにも心を熱くするのか。
世界で勝つことは、こんなにも自分を変えるのか。

夢を叶えるだけでは終わらない。
久保田結の挑戦は、そこから加速していった。


スポールブールとは。フランス生まれの知的な球技

久保田結が人生をかけて挑戦しているスポールブールは、フランス発祥の球技だ。

金属製のボールを転がしたり投げたりしながら、目標球にどれだけ近づけられるかを競う。
一見するとペタンクに似ているが、スポールブールはコートが広く、地面の傾斜や砂利の質感を読みながらボールの軌道を計算していく競技である。

狙い方ひとつでボールは大きく曲がる。
そのため求められるのは、単なる運動能力ではない。

頭で考え、状況を整理し、最適な一手を選び続ける力。
スポールブールはまさに知力と技術で戦うスポーツだ。

競技には、転がして寄せるポワンテ、投げて当てるティールといった技術があり、種目によっては走りながら投げるラピッドというスピード感のあるスタイルも存在する。

日本ではまだ知名度が高い競技とは言えない。
しかし久保田は、この競技の奥深さに魅了され、世界へ挑戦する道を選んだ。


兄たちがいたから、負けたくなかった

久保田結の原点を辿ると、家庭の中に自然と競争があった。

5歳上と7歳上。年の離れた兄が2人いる三兄弟の末っ子として育った彼女は、幼い頃から兄たちを見上げてきた。

一番上の兄は勉強が得意だった。
真ん中の兄はスポーツが得意で、ずっとサッカーを続けていた。

勉強で評価される兄。
運動で輝く兄。

その姿は、久保田の中に強い感情を生んだ。

自分も何かで認められたい。
兄たちに負けたくない。
自分も同じようにできる存在になりたい。

この気持ちが、後の人生を動かす原動力になっていく。

小学生の頃、特定の球技を習っていたわけではない。ただ、兄たちと一緒に遊ぶ中でボールを扱う機会は多く、球技そのものが好きだった。

そして中学・高校では硬式テニス部に入る。
球技が好きだったこともあるが、何より自分の力で評価される世界に惹かれていた。


中学受験で知った世界の広さ

久保田の人生にとって、大きな転機となったのが中学受験だった。

兄が中学受験をしていたこともあり、母親から勧められた。
ただ、家庭の事情として私立は難しい。国立なら可能性がある。

塾にも通っていなかった。模試すら受けたことがない。
まさにぶつけ本番の挑戦だった。

受けたのは東京大学教育学部附属中等教育学校。
一般的には東大附属として知られる学校である。

緊張感に包まれた会場で、周囲の受験生たちは鉛筆を何本も並べて準備している。
一方で久保田は、鉛筆を1本だけ出していた。

今思えば、それほどまでに受験というものに慣れていなかった。

それでも結果は補欠合格。
奇跡のように、久保田はその環境に飛び込む。

そこには120人の同級生がいて、東京中のさまざまな地域から集まっていた。
蒲田から片道1時間。毎日電車で通いながら、彼女はこれまでとは違う世界を知る。

ただ楽しいだけではなかった。

小学校までは勉強ができる方だった。
しかし周囲はレベルが違った。

最初は120人の中で、真ん中あたりが精一杯。
努力しても届かない感覚。思うように評価されない現実。

それでも、久保田はそこで終わらなかった。

高校1年のとき、学年5位まで成績を上げたことがある。
環境のせいにせず、自分の努力で這い上がれることを証明した。

この経験が、後に世界へ挑む久保田の土台になっていく。


薬学への挑戦。研究者になりたいという夢

高校卒業後、久保田は薬学部を目指す。

理由は明確だった。
薬の研究者になりたかった。

ただ、薬学部は簡単ではない。受験はうまくいかず、浪人生活を経験する。
それでも諦めなかった。

推薦入試の制度も活用しながら、目指していた大学に進学する。

しかし、ここからが本当の苦闘だった。

大学の勉強は想像を超えていた。
特に1年生の負担は凄まじい。15科目ほどの必修。次々にやってくる試験。

浪人して入ったにもかかわらず、彼女は留年を経験する。
1年生を2回やることになった。

それでも辞めなかった。

そこには仲間がいた。
徹夜で試験勉強をする時だって、朝までカラオケでオールする時だって、いつだって同じ目標を見てくれる存在がいた。

苦しい時間も、楽しい時間も、全部一緒に乗り越えてきた。
だからこそ、踏ん張れた。

久保田はこの大学時代を通じて、努力を積み重ねる力を手に入れていった。


大学4年で出会った未知の競技、スポールブール

人生の流れを変えたのは、大学4年生の頃だった。

オリンピックを見て、ふと感じた。

またスポーツがしたい。

テニスもいい。でも、せっかく大人になって始めるなら別の競技に挑戦したい。
そして久保田は、競技探しにおいて条件を絞っていく。

球技であること。
できれば個人競技。
続けやすいこと。
そして、マイナースポーツで代表を狙える可能性があること。

その中で見つけたのが、スポールブールだった。

フランス発祥。歴史ある競技。
どこかおしゃれで、未知の魅力を感じた。

練習場所は埼玉。遠いが通えない距離ではない。

まずは体験会に行ってみよう。

そこで初めて触れたスポールブールは、彼女の感覚にフィットした。

主に転がして狙うポワンテ。
そして投げて当てるティール。

特にポワンテは、初めてにもかかわらず感覚が良かった。

これならできるかもしれない。
そう思えたことが、挑戦を継続する理由になった。


ブランクを経て、再び競技へ戻った理由

ただ、スポールブールはすぐに本格的な道になったわけではない。

大学院に進学し、研究に没頭する日々。
しかし久保田は、大学院の学費を自分で支払っていた。

そのため土日は塾講師の仕事が入り、練習に行けない期間が増えていった。
競技に取り組みたい気持ちはあっても、現実の生活は簡単に余白をくれない。

結果として競技歴は10年近くになっても、実際に取り組めていない期間が3〜4年ほどあった。

それでも、久保田はスポールブールを手放さなかった。

再び本格的に復帰したのは、2021年頃。
少しずつ大会に出場できるようになり、結果も出るようになっていく。

競技人口が少ないからこそ、努力は結果に繋がりやすい。
その実感が、彼女の挑戦心をさらに強くした。

代表が見えてきた。
夢が現実になりそうだ。

久保田の挑戦は、再び動き出した。


最大の壁はティールだった。小さな手で世界に挑む

久保田にとって最大の課題は、ティールだった。

転がす技術は得意だった。
しかし投げる技術がどうしても安定しない。

理由の一つは、手が小さいことだった。

一般的な投げ方ではボールがうまく収まらず、落ちてしまう感覚があった。
普通なら数回練習すれば少しはできるはずの技術が、なかなか身につかなかった。

それでも久保田は工夫を重ねた。

ペタンクの小さなボールで練習したり、
自分用のボールもなるべく小さいものを選んだり。

そして、海外選手の投げ方にヒントを得る。

手の上に乗せるように持ち、下から投げる。
その形を取り入れたことで、少しずつティールの感覚を掴んでいった。

そして2022年。
全日本選手権でティール種目の一つであるプログレッシブに出場し、悲願の優勝を手に入れる。

苦手だったからこそ、勝った瞬間の意味は大きかった。

できないことを、できるようにする。
それを証明する結果を残す。

久保田結の挑戦は、努力を美談にするのではなく、結果で示す挑戦だった。


世界選手権で叶った夢。そして、意識が変わった瞬間

2023年11月。フランスで開催された世界選手権。

久保田は日本代表として初めて世界の舞台に立つ。

世界選手権の前にはワールドカップもあり、彼女はサポート役として帯同。
ボールを渡すなどの役割を担いながら、世界の空気を肌で感じた。

世界選手権には16か国が参加。
大会会場はリヨン近郊の町で行われた。

しかし、初めてのフランスは試練から始まる。

体調を崩し、40度近い高熱。
ほとんど寝込んでしまい、十分に準備ができないまま本番を迎えた。

それでも彼女は、世界の選手たちと交流する中で強く感じたことがあった。

言葉が通じなくても、スポーツで繋がれる。

英語が完璧でなくても、同じ競技をしているだけで距離が縮まる。
世界には知らない国があり、知らない文化があり、それでも競技を通じて笑い合える。

それは、久保田にとって忘れられない経験になった。

ただ、競技の結果は厳しかった。

日本は世界では弱い国と見られている。
日本と試合になったらラッキーと思われている。

その現実を、彼女は痛いほど理解した。

だが、ここで終わらなかった。

代表になることは夢だった。
夢は叶った。

しかし世界の舞台に立ったことで、久保田の中に新しい感情が芽生えた。

勝ちたい。
ただ出場するだけでは意味がない。

この瞬間、久保田の挑戦は次のフェーズに入った。


香港で止められた鉄のボール。世界を転戦する競技者の現実

2024年、オーストラリアで行われたアジア・オセアニア選手権へ。

国際大会は華やかに見えるが、現実はハードだ。
遠征費は基本的に自費。移動も宿泊も簡単ではない。

その旅の途中、久保田は香港でトラブルに巻き込まれる。

荷物検査で呼び止められた。

理由は、スーツケースに入っていた4つの金属ボール。
スポールブールの競技用ボールだった。

空港職員から、これは何に使うのかと詰められる。

職員用の黄色いベストを着せられ、滑走路のワゴンに乗せられ、別室で荷物を開けさせられる。
粉洗剤も怪しまれ、徹底的にチェックされた。

鉄の球を持って飛行機に乗る。
それだけで疑われるのは当然だ。

だが競技者にとっては当たり前の道具。

競技の写真を見せて説明し、ようやく解放された。

世界を目指す挑戦は、競技以外のところでも戦いがある。
このエピソードは、久保田の挑戦のリアルを物語っている。

優勝と国歌。世界で勝てるという確信

アジア・オセアニア選手権は、久保田にとって忘れられない大会となった。

出場したのは、女子ダブルス、女子ラピッド、女子コンビネ、混合コンビネの4種目。
その中で彼女は、女子ダブルス、女子ラピッド、女子コンビネの3種目で優勝を果たす。

2024年、3種目優勝。

これは日本にとっても大きな成果だった。

だが、久保田の中で特に意味があったのは、女子ダブルスでオーストラリアに初勝利した瞬間だった。

それまで勝てなかった相手に勝った。
初めて世界で勝利を掴んだ。

その瞬間、彼女の中に湧き上がったのは、達成感だけではない。

もっと勝ちたい。

勝利は、さらに大きな欲を生む。
そしてその欲は、挑戦の熱量を一段上げる。

久保田結はこの時、世界一を目指す選手へと変わった。

世界の強豪国を倒すために。勝つための挑戦が始まった

スポールブールの世界は、フランス、イタリア、クロアチアが圧倒的に強い。
スロベニアやトルコも強豪国として知られる。

競技人口、練習環境、歴史、文化。
すべてが日本とは違う。

ヨーロッパでは専用のブールドームが各地にあり、競技が生活に根付いている。

日本では練習できる人数が少なく、寒い時期は3〜4人しか集まらないこともある。

それでも久保田は言う。

世界一を目指している。

夢ではない。目標だ。

そのために彼女が取り組んでいるのが、視野を広げる挑戦だ。

スポールブールだけを見ていても勝てない。
だからこそ、他競技を学ぶ。

カーリングの全日本選手権を観戦し、戦術のヒントを探した。
チェスや五目並べなど、頭脳ゲームの発想も研究する。

戦術を増やす。
自分たちが勝ちやすいパターンだけではなく、あえて怖い戦術にも挑戦する。

ミスしてもいい。
失敗してもいい。

その経験値が、世界で勝つための武器になる。

久保田は勝つために挑戦している。
挑戦するために勝ちたいのではない。

この順番が、彼女の強さだ。



研究補助の仕事から、コーチングへ。競技のための働き方を選んだ

大学院卒業後、久保田は東京大学の研究室で研究補助として働いた。
派遣社員の形で週3回ほど。

動物実験のサンプル採取など、研究の現場にも関わった。

その後はオンライン家庭教師なども経験し、教育の幅を広げていく。

そして現在、彼女が軸にしているのがコーチングだ。

大人に対して目標達成を支援する。
伴走する形で、人生や仕事の目標を一緒に形にしていく。

この仕事は、スポールブールの挑戦にも直結している。

遠征や練習の時間を確保するには、フレキシブルな働き方が必要。
競技を続けるために、働き方そのものを設計した。

競技者であり、教育者であり、支援者である。
久保田は自分の人生を、自分の戦術で組み立てている。


競技を続けるだけでは終わらない。次はジュニア育成という挑戦

久保田は競技者として世界を目指す一方で、スポールブールの未来にも目を向けている。

日本では競技人口が少なく、少子高齢化のような状態になっている。
ジュニアはほとんどいない。女子のジュニアはゼロ。

このままでは競技が続かない。

だからこそ、教育に携わってきた経験を活かして、ジュニア育成にも関わりたいと考えている。

実際に、母校である東京大学教育学部附属中等教育学校でも声をかけてもらい、授業の中でスポールブールを体験してもらう機会を作った。

競技を広めることも挑戦。
未来を作ることも挑戦。

勝つために戦うだけではなく、競技の文化を残すためにも動いている。


世界一へ。夢の次のステージで挑戦を続ける

日本代表になることは夢だった。

しかし久保田結は、夢を叶えて満足するタイプではない。

代表になった瞬間から、次の挑戦が始まった。

世界で勝つ。
世界一になる。

そのために必要なのは、練習量だけではない。
分析力、戦術、視野の広さ、そして挑戦する勇気だ。

練習して終わりでは意味がない。
映像を見て分析し、戦術を増やし、試合で試す。

怖い選択にも挑戦し、失敗を積み重ねる。
その先にしか世界一はないと分かっている。

競技人口も環境も、世界との差は大きい。
それでも彼女は目を逸らさない。

日本は弱い国だと言われるなら、覆せばいい。

久保田結は、知の球技スポールブールで世界へ挑む。
人生そのものを戦術として組み立てながら、挑戦を続けている。

東京都スポールブール連盟

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