吉野 有香(よしの・ゆか)

1991年生まれ、愛知県出身。小学校1年生からサッカーを始め、名古屋のクラブチーム、常盤木学園高校、なでしこリーグでプレー。度重なる前十字靭帯損傷を経験し、2015年に現役を引退。引退後はサッカー教室やメンタルコーチング、イベントMCなどフリーランスとして活動。2020年、京都府京丹後市を拠点にクラブを設立し、現在はKYOTO TANGO QUEENS代表としてチーム運営に携わっている。

サッカーが日常だった幼少期

吉野有香がサッカーを始めたのは、小学校1年生のとき。父と兄がサッカーをしていた家庭環境の中で、ボールを蹴ることは特別なことではなかった。

小学校4年生頃から本格的に競技として取り組み、愛知選抜に選出。中学時代は名古屋のクラブチームで全国大会を経験し、ナショナルトレセンにも参加した。迷いはなかった。サッカーは、進むべき道として自然にそこにあった。


黄金世代の中で掴んだ栄光

高校は女子サッカーの名門・常盤木学園へ進学。当時のチームは全国屈指の強豪で、先輩には後に日本代表を率いる選手もいた。

全国大会では毎年のように優勝、もしくは準優勝。勝つことが当たり前の環境で、吉野もまたトップレベルを目指し、日々ピッチに立つ努力をしていた。しかし、高校3年生の10月、前十字靭帯断裂という大きな怪我が、その道を大きく揺るがす。


繰り返される怪我と、削られていく時間

なでしこリーグに進んでからの最初の3年間は、ほとんどがリハビリだった。膝が内側に入りやすい構造だと医師に告げられ、サッカーをやめた方がいいと言われたこともある。

それでも、吉野は競技を続ける選択をした。手術を選び、再びピッチに戻ることを信じ続けた。

高槻時代も怪我は続き、2年間をリハビリに費やした末に戦力外通告。移籍したバニーズ京都でも、2年目に逆足の前十字靭帯を損傷する。結果的に、前十字靭帯は3回、半月板を含めて計4回の手術。リハビリを終えても、再び戦力外を告げられ、現役引退を決断した。


サッカーを失って気づいた空白

引退後、社会人として働き始めたものの、心は満たされなかった。サッカーのない生活が、どうしてもつまらなく感じてしまった。半年で仕事を辞め、実家に戻る。そこで初めて、自分の人生がどれほどサッカーに支えられていたのかを実感した。

25歳で実家に戻り、家業を手伝いながら準備を進め、26歳でサッカー教室やメンタルコーチングを学び個人事業主として独立。全国各地でサッカー教室を開催し、中国の上海など海外にも活動の場を広げていった。


京丹後市という町との出会い

京都府北部、日本海に面した京丹後市。海と山に囲まれたこの町は、都市部とは異なるゆったりとした時間が流れている。

人口減少や若者流出といった課題を抱える一方で、人と人との距離が近く、地域に根差した挑戦を受け入れる風土がある。

29歳の頃、夫の元上司を含めた3人で、京丹後をサッカーで盛り上げたいという話が持ち上がった。この町でなら、競技だけでなく、人の人生や地域と深く関われるクラブをつくれる。吉野はそう感じた。


地方から始まったクラブの挑戦

こうして誕生したKYOTO TANGO QUEENSは、現在6年目。関西リーグ2部から1部へ昇格し、今シーズンは1部で3位という結果を残している。

なでしこリーグへの申請も視野に入れている。中学生世代を海外遠征に連れて行き、カンボジアやマレーシアで国際交流を行うなど、競技の枠を超えた取り組みも続けてきた。


昇格の先にある厳しい現実

日本の女子サッカーは、頂点にWeリーグがあり、その下になでしこリーグ1部、2部が続く。しかし、Weリーグを除けば、なでしこリーグも実態はアマチュアに近い。

集客に苦しみ、入場料収入はほとんど期待できない。多くの選手は働きながらプレーし、クラブは遠征費や活動費に頭を悩ませている。

KYOTO TANGO QUEENSが戦う関西リーグは、さらに下のカテゴリーだ。仮になでしこリーグへ昇格したとしても、環境が劇的に改善されるわけではない。ホームアンドアウェー方式により全国遠征が発生し、クラブ経営の負担はむしろ増える。この現実を、吉野は冷静に見つめている。


勝つことだけを目的にしない理由

もちろん、勝ちたい。上を目指したい。その気持ちに嘘はない。

しかし、昇格すること自体がゴールになってしまえば、選手もクラブも消耗していく。昇格した先に、選手たちの未来があるのか。その問いから、吉野は目を背けない。

トップリーグで戦うことだけが目的ではない。日本の女子サッカーが持続可能な形で根づくこと。選手が安心してプレーを続けられる環境をつくること。それが、彼女の本当の挑戦だ。


サッカーで社会と向き合う

KYOTO TANGO QUEENSは、競技だけに閉じたクラブではない。地域イベントへの参加、行政との連携、海外遠征による国際交流にも取り組んでいる。

少子高齢化、若者流出、雇用の課題。京丹後市が抱える課題は、日本各地の地方都市と重なる。吉野は、女子サッカーがその課題解決の一端を担えると信じている。スポーツを通じて人と人をつなぎ、街の誇りとなる存在をつくること。それもまた、クラブの重要な役割だ。


このクラブで育った選手たちが、外に出て、また帰ってこられる場所でありたい。競技を終えた後も、人生のどこかでクラブと関われる環境を残したい。

人工芝グラウンドやクラブハウスの整備、廃校を活用したスタジアム構想。それらはすべて、選手の未来から逆算したビジョンだ。


挑戦は、続いていく

怪我に苦しみ、サッカーを失い、それでも再びサッカーの世界へ戻ってきた吉野有香。今は選手ではなく、代表として次の世代の挑戦を支えている。

昇格の先に未来はあるのか。その問いを抱えながら、地方から女子サッカーの在り方を問い続ける。

その挑戦は、まだ途中だ。


KYOTO TANGO QUEENS