伊吹 主税(いぶき ちから)

1991年、滋賀県生まれ。琵琶湖や田園風景に囲まれた自然豊かな環境で育つ。幼少期から水泳や野球に親しみ、中学・高校では野球部に所属。進学校で学業にも真面目に取り組みながら、努力を重ねて高校ではレギュラーとして甲子園を目指した。
高校卒業後、JR東海(東海旅客鉄道株式会社)に就職。駅員、車掌を経て新幹線の運転士として勤務する傍ら、本格的にトレーニングに取り組み、2019年に競技デビュー。
メンズフィジーク日本チャンピオン(身長別4連覇・無差別級4連覇)を達成し、日本のトップ選手として活躍。
2023年11月にJR東海を退職し、トレーナー・講師として活動開始。
2025年11月、サウジアラビアで開催されたIFBB世界男子選手権173cm以下級で銀メダルを獲得。2026年には大阪でジムをオープン予定。


自然の中で育った、体を動かすことが好きな少年

滋賀県。
琵琶湖や田園風景に囲まれた自然の中で、伊吹主税は育った。
外で遊び、湖で泳ぎ、野山を駆け回る。体を動かすことは、特別なことではなく日常そのものだった。

スポーツは野球。
小学3年生からスポーツ少年団に、中学・高校では野球部に所属し、白球を追い続けた。
中学時代は周囲ほど身長が伸びず、出場機会に恵まれない時期もあった。
腐りそうになることもあったが、それでも努力をやめなかった。
その積み重ねが実を結び、高校ではレギュラーとして甲子園を目指す立場までたどり着いた。

進学校という環境もあり、勉強にも真面目に取り組んだ。
部活も勉強も中途半端にはしない。
この姿勢が、後の競技人生を支える土台となっていく。


学年でひとりの就職組 父の背中を追って

高校卒業後の進路を、多くの同級生が大学へ進学する中、伊吹は就職を選択した。
JR職員として働く父親の姿に、幼い頃から憧れを抱いていた。

公共交通を支える仕事。
多くの人の日常を、安全に、当たり前に支える存在でありたい。
そんな思いから、JR東海への入社を志した。

入社後、研修を経てステップアップしていく。駅員として現場に立ち、車掌として乗務し、日々経験を積み重ねていく。
勤務時間は不規則で、生活リズムが安定しないことも多かった。
睡眠不足を感じる日もあったが、公共交通を支える仕事には確かなやりがいがあった。


体を鍛え始めた理由は、仕事の過酷さゆえ

プライベートでは、スノーボード、サーフィン、草野球など、体を動かすことを続けていた。
競技のパフォーマンスを高めたいという思いから、自然とトレーニングにも意識が向く。

当時のトレーニングは、腕立て伏せや逆立ちといった自重トレーニングが中心。
それでも、しっかり食べ、しっかり体を動かすことで、体は少しずつ変わっていった。

仕事においても、伊吹は現状に満足しなかった。
より高いレベルを目指したい。
社内試験に向けて勉強を重ね、免許を取得し、新幹線の運転士となる。


新幹線運転士という仕事の重圧

新幹線の運転士としての日々は、充実感に満ちていた。
しかし同時に、その仕事は想像以上に過酷だった。

時速285キロで走るのぞみ号。
高度なコンピューター制御があるとはいえ、数百人の命を預かる責任がある。
秒単位で管理される過密ダイヤの中で、正確性と集中力が常に求められた。

肉体的にはハードではない。
だが、精神が削られる。
乗務後、なかなか寝付けない夜もあった。

体を鍛えることは、仕事のリフレッシュでもあり、自分を保つための手段でもあった。


ジムで知った、己と向き合う世界

2018年12月、伊吹は初めてジムに通い始める。
そこで出会ったのは、これまでの自己流トレーニングとはまったく違う世界だった。

トレーニングとは、己との戦い。
徹底した自己管理のもと、体を彫刻のように削り出していく。

無駄のない筋肉。
鍛え上げられた逆三角形の体。

それらは一朝一夕では成り立たない。
日々の努力を積み重ねた者だけが到達できる世界だった。


メンズフィジークという競技の魅力

伊吹が挑戦したのは、メンズフィジークという競技。
筋肉の大きさだけを競うのではなく、全体のバランス、美しさ、シルエットが評価される。

彫刻のように洗練された上半身。
ウエストから肩へと広がる逆三角形。
過度な筋肥大ではなく、日常の延長線上にある理想の体。

その完成度は、トレーニングだけで決まらない。
食事、睡眠、生活習慣。
すべてが結果に直結する。

特に減量期は過酷だ。
これは自分との戦いとしか言いようがない。
ライバルに勝つために、自分を律し続ける日々が続く。

一方で、この競技には独特の仲間意識がある。
舞台の上では競い合うが、舞台を降りれば互いを認め合う。
伊吹は、日本フィジーク界のトップを走る中で、数多くの先輩、後輩と語り合ってきた。


日本一への道 そして世界へ

2019年、関西オープンで優勝。
オールジャパン選手権では8位という成績を残した。

悔しさはあった。
だが同時に、トップが見える位置にいることも実感した。

2020年、マッスルゲート神戸で総合優勝。
2021年、オールジャパンメンズフィジーク176cm以下級で初優勝。
そこから、身長別4連覇(2021~2024年、2025年は出場せず)、無差別級4連覇(2022~2025年)。
日本の頂点に立ち続ける存在となった。

また、日本一を獲得すると、世界へも挑戦。

2022年11月。スペインで開催されたIFBB世界選手権 メンズフィジーク 173cm 以下5位入賞。翌年には階級をひとつ上げて176cm以下級で6位入賞。日本から世界へと挑戦を重ねた。

JRを退職し、フィットネスで生きるという覚悟

2023年11月、伊吹は14年間勤めたJR東海を退職する。
新幹線の運転士という安定した職を手放す決断は、簡単ではなかった。

だが、世界を知ったことで、はっきりとした思いが生まれた。

フィットネスで生きていきたい。
体づくりを通して、人の人生に関わりたい。

公共交通を支えてきた経験は、
今度は健康を支える形で活かせる。
伊吹にとって、それは自然な流れだった。


世界大会で突きつけられた現実

2025年11月、サウジアラビアのアル・コバールで行われたIFBB世界男子選手権。
173cm以下級で銀メダルを獲得した。

世界2位。
結果だけを見れば、輝かしい成績だ。

しかし表彰台の上で伊吹が感じていたのは、達成感よりも強い悔しさだった。
勝てなかった。
ほんのわずかな差。
コンディション、完成度、見せ方。
そのすべてが噛み合った選手が金メダルを手にした。

それでも、世界は遠すぎる場所ではなかった。
もっと詰められる。
次は勝てる。
そう確信できたことが、次の挑戦への原動力となった。


世界を知ったからこそ生まれた使命

世界大会を経験したことで、伊吹の視点は変わった。
個人として勝つだけでは足りない。
日本全体のレベルを引き上げなければ、世界では勝ち続けられない。

舞台の上ではライバル。
だが舞台を降りれば仲間だ。

トレーニング方法やコンディショニングの考え方を共有し、
競技全体を底上げしていく。
その必要性を、強く感じるようになった。



ジムに込めた思い 名前を出さない理由

2026年、大阪でジムをオープンする予定だ。
しかし、そのスタートは静かなものになる。

チャンピオンの名前を前面に出せば、
競技志向の人ばかりが集まるかもしれない。

だが伊吹が目指すのは、もっと広い場所だ。
年齢も目的も違う人たちが、安心して通えるジム。
運動が苦手な人も、体力に不安のある人も、
楽しく体を動かし、健康を維持できる場所。

競技レベルの向上と同時に、
自分のジムに来てくれる人たち一人ひとりの健康を支えたい。
それが、伊吹主税の次なる挑戦だ。


個人の挑戦から、未来を支える挑戦へ

伊吹主税は、これからも世界一を目指す。
その一方で、フィットネスを通じて人の人生に寄り添うことにも本気で向き合う。

競技は尖らせる。
ジムでは守る。

その両立こそが、次の挑戦。
個人の栄光で終わらせない。
競技を文化として根付かせる。

世界を知った男の挑戦は、
いま、新しいフェーズへと進んでいる。

公益社団法人 日本ボディビル・フィットネス連盟

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